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THINK PIECE

Mr Freedom:
Tommy Roberts - British Design Hero

ブリティッシュ・デザイン・ヒーロー、トミー・ロバーツ。

12 10/15 UP

text: Andrew Bunney translation: Mayumi Horiguchi

 

A
「実際には、どれくらいの売り上げを得ていたんでしょう?」
P
「あまり、金を稼ぐ事は出来なかったんだ。利益はすべて再投資されて、制作費に当てなければならなかったからね。そして、すぐに資金は尽きてしまった。ある程度まで彼らを支援してくれたお偉いさんがいたが、そういったデザインをプロデュースすることに資金を費やしてしまったわけだから、実際に制作することは非常に困難になっていったんだと思う。またしても空想的な性分が現れ、1974年にはその場を去る事になった。つまり、持ったのは18か月というわけさ。ここから明るみに出た逸話はたくさんあるよ」
A
「たとえば?」
P
「マルコム・マクラーレンは常連客だったんだけど、ある時、マルコムが追い出されたんだ。そんなことがあったから、マルコムとヴィヴィアンはトミーとパートナーに対し、弁護士を雇って対応したんだ。そうすることによって、彼らの未来を安全なものにしたってわけだ。誰もコヴェント・ガーデンに足を運ばなかったので、彼らは地図を印刷したんだけど、マルコムはそれを10シリング(新しい貨幣では5ポンドに相当)で売ってたんだ!」
A
「今と比べると、なんだか奇妙な話ですね。だって今じゃあ、情報の流出はとても早いから……」
P
「そうなんだ、彼はとっても優雅なフランス人の女性を雇っていたんだけど、彼女はある意味、スカウトとして外出していたのさ。市場にちょっと変わった人が来た場合や、どう見ても市場とは全く関係ないような人が来た場合に備えてね」
A
「もしあなたがティーンエージャーだったと仮定して、そういった服を雑誌で見たり、レコード・カヴァーでミュージシャンが着こなしているのを見たりしたら、服を売っている場所をどうやって見つけ出すと思いますか?」
P
「事実、それを探し出すためには、そうとう真剣になる必要があった。思うに、デヴィッド・ボウイは本当に素晴らしい広告塔だったね。トミーが取材を受けていたメインの場所はポルノ業界だ。英国のソフト・ポルノ雑誌『クラブ・インターナショナル』のファッション・エディターであるデヴィッド・パーキンソンが、その手のものをすべてフィーチャーしていたからね」
A
「音楽は重要でしたか?」
P
「音楽はトミーがなんの産物であるかを説明する際に、最も重要なものだ。だから、彼はマネージメントを手掛けることにしたんだ。イアン・デューリーが最初に組んだパブ・ロック・バンド、キルバーン&ザ・ハイロウズさ。もうぶっ飛ぶぐらい、カッコいい服を着こなしてた。トミーは、イアンが着用していた、マルコムとヴィヴィアンのブティック『レット・イット・ロック』のスーツをオーダーしてバンドに着せたのさ。キルバーン&ザ・ハイロウズは、すさまじくイカした存在だった。あれはもう、パフォーマンス・アートと言っていい。だからこそ当然のごとく、レコード・レーベルにとっては非商業的な存在だったんだけどね。そこでは、素晴らしいやりとりが取り交わされていた。『SEX』がオープンした時、トミーは、マルコムが店で販売するために購入したTシャツを作ったんだけど、ヴィヴィアンがそのTシャツを手にとり、引き裂いた。そして、トミーは理解したんだ。確かに、彼にはアイデアがあったが、スピリットがなかったのだと。そして、ファッション業界におけるその後数年間は、大波がうねりまくり、破綻しまくった。彼は状況を認め、終わりだと悟ったのさ」
A
「その後はどうなったのですか?」
P
「インテリア関係を手掛けるようになり、アメリカに輸出するようになった。パートナーのポール・ジョーンズと共に、1981年、セント・ジャイルズ・ハイ・ストリートのセンター・ポイントにおいて、『プラクティカル・スタイリング』という店を始めた。その頃にはすでに、その手のゲームとは無関係だったにもかかわらず、ロック・スターたちが彼の元へ通っていた。彼の店で家具を購入していたんだ。だってトミーは、偉大なる流行仕掛人だったからね。トミーは家具を買い、改造し、いいところだけをつまみ食いする作業へと戻ったんだ。年齢も40歳半ばになり、ノッティングヒルに住み、86年当時に実際に流行ったスタイリングに迎合することは避けていたのさ」

 

A
「『トム-トム』がオープンしたのはいつですか?」
P
「『トム-トム』がスタートしたのは1995年だね。忘れられた仕事を再び人々に提示し、再評価されることが目的だった。興味深いことに、彼はその当時のムーヴメントに夢中になってしまったんだ。その当時流行っていたムーヴメントは "ブリット・ポップ" で、ノエル・ギャラガー(元オアシス/現ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ)やパトリック・コックスといった顧客がやってきた。彼らのような、90年代におけるビッグネームは、全員『トム-トム』の顧客だったのさ。ユーリズミックスのメンバーであるデイヴ・スチュワートは、フランスにある家に『トム-トム』の家具を設置した。でも結局のところ、『トム-トム』は彼にとってはあまりにも小規模なものだったので、息子のキースと共に『トゥー・コロンビア・ロード』をオープンすることにしたんだ」
A
「今現在、彼はどうしているのですか?」
P
「彼が始めた店である『トゥー・コロンビア・ロード』は、今は息子が切り盛りしている。本の中で、クリス・ブロードがこのエリアにおいて彼が果たした貢献について語っているね。アートとしての家具についてのアイデア、それらの鑑賞および蒐集、デザインの鑑賞を援助したことがそれだ。つまり、『トゥー・コロンビア・ロード』がそれを実現しているというわけさ」
A
「トミーが世に放ったネットは、どれくらい幅広いものだったのでしょうか?」
P
「ストリート・ファッションを取り入れることによって、ファッションというものの概念をはっきりと変えてしまったと思う。我々が言うところの婦人服業界とハイストリート・ファッション・ビジネスを根本的に変えてしまった。彼の仕事は、ハイファッションの世界にさえも浸透していた。ある程度までは、クチュールにさえも影響を与えていたんだ。彼は英国という国を、すっかり世俗的な場所に変えた人々のうちのひとりと言える。僕としては果たした貢献にもかかわらず、過小評価されていると思っている。彼は戦後の英国を象徴する人物なんだからね。その多くは彼があまりにも大胆だったことに関係している。きみは、羽根付きの靴を履けるかい? 加えて、英国人としての背景を持っていない人々の方が、彼の業績を評価していることが明白なんじゃないかと思うね。日本人のデザイナーなんかがそうだよね。例えば、山本(耀司)は、常に『ミスター・フリーダム』について語っているんだから」
A
「今じゃ、システムも全然変わっていますからね」
P
「この手のことは可能だよね。でも、僕らには良いサンプル例がないから、想像することが難しい。何か別の方法があるはずなんだけれどもね」

 

Mr Freedom
Tommy Roberts - British Design Hero

Author: Paul Gorman
Hardcover, 160 pages