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THINK PIECE

Mr Freedom:
Tommy Roberts - British Design Hero

ブリティッシュ・デザイン・ヒーロー、トミー・ロバーツ。

12 10/15 UP

text: Andrew Bunney translation: Mayumi Horiguchi

トミー・ロバーツはロンドン市内に多くのファッションおよびデザイン関連の店舗を所有し、運営している。
それらの店舗は服飾という概念を越え、ひとつの時代の精神をクリエイトし、ポップカルチャーの重要な一部として成功を収めた。
このほど、そんなトミーに関する本『Mr Freedom: Tommy Roberts - British Design Hero』がローンチされたばかり。
なぜトミー・ロバーツがそれほどまでに重要なのか。
そのわけを知るために、アンドリュー・バニーが著者であるポール・ゴーマンに話を聞いた。

 

アンドリュー・バニー(以下: A )
「なぜこの本を出すことになったんですか?」
ポール・ゴーマン(以下: P )
「トミーのことは、かなり前からよく知っているんだ。僕の著作『ザ・ルック』シリーズ(*注1)では2冊とも、彼についてかなり広範囲に渡って扱っているしね。ひとつの章でまとめなかったのは、そうするよりもはるかに価値あるものとして、常に僕の心を打っていたからなんだ。僕は昔かたぎのジャーナリズムを教える学校で訓練を受けたから、ほんの少しの例外を除いてはインタビュー相手の人格の詳細を知るたびに失望してきたんだ。僕らの人生において、重要なことなのにね。でもこれはトミーという人物について書かれた本だから、彼がデザインに関してこの種の敏捷さを発揮したそのやり方については、絶対的に反映する必要があった。偶然の一致で、数年前から出版企画について話し始めていたんだけど、それが実現したっていうわけさ」
A
「なぜ、トミー・ロバーツのような人物に、あなたは魅了されてしまうのでしょうか?」
P
「一体どんな人物なのかってことを、僕の考え方では正しく見極めることができない人々に、めちゃくちゃ興味があるんだ。そういう人間たちには、面白い特性がある。前衛的なアイデアを、素早く業界のメインストリームの中に取り入れることができるのさ。1971年当時のトミーを振り返ってみよう。『タイムズ』(*注2)や『ガーディアン』(*注3)といった高級新聞に、彼のインタビューが掲載された。質問者はファッション業界の長老だ。それと同時に、彼はある意味 "生意気なやつ" 、ミスター・フリーダムだったのさ。『デイリー・ミラー』紙(*注4)の3ページ目に、ゴシップ記事の当事者として取り上げられたりもしている。そういうところが、非常に魅惑的な人物なんだよ。研究されるべき存在で、その結果、彼が輝きを放っていた時代と密接に関連する存在としてすえられるんだ。加えて、彼以外の有名人と関連づけて、取り上げられることにもなる」

A
「その時代って、具体的にはいつ頃?」
P
「60年代の半ばからだね。1966年、初めてのショップである『クレプトマニア』をオープンし(*注5)、今日にいたるまで、ショップとの関わりは続いている。『トゥー・コロンビア・ロード』(*注6)なんかがそれだね。今は彼の息子が経営しているけどね」
A
「あなたが『クレプトマニア』のオープニング当時にタイムスリップしたと仮定しましょう。その場合、店以外に当時の物事で必見すべきものは何だと思いますか?」
P
「66年ってやつは、興味深い時代だ。レコードに関して言えば、アルバムがシングルに取って代わった時代であり、ロックに関して言えば、現代における ‘ロック界の貴族階級’ と呼べるものについてのアイデアすべてが世に現れた時代だった。ほんのちょっと前まで、『ハング・オン・ユー』(*注7)という名称だった店、『グラニー・テイクス・ア・トリップ』(*注8)も、この年にオープンしたんだ。どちらもすごくダンディで、ピーコックで、サイケデリアな店だった。そこにバックグラウンドとして、基本的に収集癖を持つトミーが登場するというわけだ。彼はサウス・イースト・ロンドンの出身で、父親はかつてオークション・ハウスによく足を運んでいた。そういう出自だから、カーナビー・ストリートにほど近いこの場所、キングリー・ストリートに店を開いたんだ。ここでは、軍服や勲章などといった軍事品の収集物、エドワード朝時代の物品、ヴィクトリアン朝時代の物品、そういった種類の制服の数々、さらにはペニー - ファーシング(=前輪が大きく後輪が小さい、イギリスの旧式自転車)まで売っていた。そういったもの、すべてのルックが『サージェント・ペパーズ』(*注9)に反映されているわけだ。つまり、彼はその頃、まさにそこにいるってわけさ」
A
「彼自身の手による服をプロデュースしていたんですか?」
P
「ストックしていたヴィンテージが全部売り切れてしまった頃に、新たな商品のデザインを依頼するようになった。これぞ、輝かしきストリート・ウェアの歴史ってやつさ。そこに登場するのは、例えばポール・リーヴス(*注10)みたいな奴。ポールは依頼を受けて、金のルレックス(=ラメ用糸)ドレスや紙製のドレスなんかをデザインした。その結果、イタリア人が言うところの「デザイン・エディター」と呼ばれる存在になったわけさ。彼の目の付けどころはすごく良かった。彼はロンドン大学のゴールドスミス・カレッジ(*注11)に通っていたし、その審美眼のよさについても、よく分かっていた。素晴らしい小売業者であり、モノを創造する環境において、優れた人物だ。ブティックって、基本的にそういうものだろう。そうじゃないかい?」

 

A
「つまり、それこそがその当時みんなが最終的に目指していた地点だったってことでしょうか?」
P
「今じゃ、そんなことあり得ないけど、その当時は商売の場という感じじゃなかった。経験としての小売りだったのさ。つるむためにそこへ行き、店が発信するものを吸収する場だったんだ。だから、『クレプトマニア』がメインストリームな存在になり、カーナビー・ストリートが舗装され、大勢の観光客が乗ったバスが続々と到着するようになった途端に、トミーはそこを抜け出し、チェルシーへ移転することにしたんだ。『ワールズ・エンド』(*注12)なんかは特に伝導性が高かったよね。キングス・ロード430番地を支配しちゃったからね」
A
「その頃、キングス・ロード周辺ではみんなどんな格好をしていたのですか?」
P
「キングス・ロードでは、 ‘ダンディ・ピーコック’ 的なものの流行が頂点に達していた。もっとニッチなものだったのに、ジョン・クリトル(*注13)がキングス・ロードの中心で経営していた店『ダンディ・ファッションズ』なんかと合わせて、よりメインストリーム寄りになり始めたんだ。それからは ‘カウントダウン(=重要な事が起こる直前の秒読み段階)’ 、‘トップギア(=最高潮)’と徐々に段階を踏んでゆき、ついには多くがピーコック - ロックものに関連づけられた。ブライアン・ジョーンズ(*注14)は店の常連でよく出入りしていた。タイト・フィッティングだけどフレアーパンツ、マッチョだけどほんの少しアンドロギュヌス(両性具有)っぽい感じを併せ持った感じだね。オジー・クラークとアリス・ポロック(*注15)の服なんて、まさにそういう感じ。すごく軽くて素朴、かつロマンチックなものを創作していたのさ」

A
「で、その後にはまた新たな店舗を開店?」
P
「パートナーであるトレヴァー・マイルズと一緒に作った新しい店が『ミスター・フリーダム』(*注16)さ。コンセプトは完全にポップ・アート。楽しさに満ちあふれた,アメリカっぽいもの。めちゃくちゃ、今っぽい感じだね。50’sギアの製造元に足を運び、ブローセル・クリーパーズ(*注17)をゲット、でも別注をかけて青や赤のスエードのものを作らせる。ラメのソックスもあったし、ドレープスーツも作らせた。ちょうどその頃の事について、彼はこう言っていた。「まるで私そのものだったよ。ほんの少し派手で、ちょっとだけ卑猥」だとね。パープルとか、コントラストが効いた明るい色遣いが施されていた。スポーツウェアの製造元、ジムフレックス(*注18)から提供された素材を用いたTシャツを作っていた。フロント部分を赤くして、黄色い星を入れたやつをね。彼は、すべての美的なものはそこから表出するんだということに気づいた。それらの要素が総て備わっていたからね」
A
「つまり、 ‘ルック’ を提供していたということですか?」
P
「彼らの生み出した商品は、70年代にオールディーズ・バンドのショワディワディ(*注19)が流行したのに伴い、ショービス界と関連づけられていくようになった。実際には、『ミスター・フリーダム』のものだったんだけどね。リコリス・オールソーツ(=英国で人気のある甘草<リコリス>入りの黒いソフトキャンディー)色のトップス、セクシーでカラフルで鮮やかな青と赤のビロード製のベースボール・スーツさ。すべてがものすごい早さで起こった。430番地に店があったのはほんの短い期間ですぐに立ち退き、金銭面を援助してくれる新しい後援者を見つけると共に、ケンジントン・チャーチ・ストリートにあった四階建ての元レストランのビルを引き継いだ。そしてその場所を、服の百貨店にしたんだ。キッズウェアを販売していて、地下にはレストランがあった。店舗のデザインを手掛けたのはジョン・ウィアリーンズと、彼の妻であるジェーン・ウィアリーンズだ。妻のジェーンはテキスタイル・デザイナーだった。彼はそこで、大学を卒業したばかりのフレッシュなデザイナーに声をかけて採用していたから、ジム・コナーがデザインしたウィングドブーツ(=羽根つきのブーツ)とか、他にもびっくりするほど素晴らしい服がいろいろあったんだ。ファンタジーの流れ、凡庸からの逸脱、奇妙でワイルドな服が提供されていたんだ……」

 

*注1:『ザ・ルック』シリーズ……現在までに2冊が発売されている。2006年4月5日発行の『ザ・ルック:アドベンチャーズ・イン・ロック・アンド・ポップ・ファッション』(原題『The Look: Adventures in Rock and Pop Fashion』)はマルコム・マクラーレン、ポール・ゴーマン、ポール・スミスの共著。2001年3月1日発行の『ザ・ルック:アドベンチャーズ・イン・ポップ・アンド・ロック・ファッション』(原題『The Look: Adventures in Pop and Rock Fashion』)はポール・ゴーマンの単著。

*注2:『タイムズ (The Times)』 :英国の保守系高級紙。1785年創刊で、世界最古の日刊新聞。

*注3:『ガーディアン (The Guardian) 』……英国の新聞。中道左派・リベラル寄りと言われる。

*注4:『デイリー・ミラー(The Daily Mirror)』……英国の日刊タブロイド判新聞。しばしば扇情的な記事を売り物とする。日本のスポーツ新聞のようなもの。

*注5:『クレプトマニア』……ロバーツが1966年に、パートナーのチャーリー・シンプソンと共に、ソーホーのキングスレー・ストリートに開いた店。ヴィクトリア朝の物品やミリタリー・ウェアを取り扱っており、顧客にはジミ・ヘンドリクスやザ・フーなどがいた。67年には、二店舗目の『クレプトマニア』がカーナビー・ストリートにオープン。

*注6:『トゥー・コロンビア・ロード』……ロバーツが息子キースと共に、2001年にイースト・ロンドンのハックニーにオープンした店。コンテンポラリー家具や、文化的に価値のある人工物:加工品を販売。その後、ロバーツは引退した。

*注7:『ハング・オン・ユー』……マイケル・レイニーが創業した、ロンドンのチェルシーにあったブティック。マイケル・レイニーは、男爵であるハーレック卿(Lord Harlech)の娘で、一時期エリック・クラプトンの恋人として有名だったアリス・オームスビー・ゴアと結婚していたことでも知られている。

*注8:『グラニー・テイクス・ア・トリップ』……1966年、ロンドンのキングス・ロードにてオープンした店。「スウィンギン・ロンドン」における、初のサイケデリア・ショップといわれ、時代の先駆者的存在の店として脚光を浴びた。

*注9:『サージェント・ペパーズ』……1967年に発表された、ビートルズ8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』("Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band")のこと。アルバムのコンセプトもそうだが、ジャケットでメンバーが来ている服は、当時流行していたサイケデリック色が色濃く反映されたものとなっている。

*注10:ポール・リーヴス……16歳でファッションデザイナー、メーカーのオーナーとして活躍。ジミー・ペイジの衣装などを手掛けた。

*注11:ゴールドスミス・カレッジ……ロンドン大学を構成するカレッジのなかのひとつ。大学には15の学部があり、それぞれが相互に関連性を持ちながら研究を進めている。社会科学や人文系の科目だけでなく、現代のアート&デザインにも力を入れており、卒業生にはヴィヴィアン・ウエストウッドなどがいる。

*注12:ワールズ・エンド……ロンドン南西部、チェルシーのキングス・ロード430番地にて、ヴィヴィアン・ウェストウッドが、マルコム・マクラーレンと始めた店。ウェストウッドは71年12月、マクラーレンと共にキングスロード430番地にフィフティーズ調ファッションのブティック「レット・イット・ロック(LET IT ROCK)」をオープン。72年、店名を「トゥー・ファスト・トゥ・リブ、トゥー・ヤング・トゥ・ダイ(Too Fast to Live, Too Young to Die)」に、74年には「セックス(SEX)」に、76年には「セディショナリーズ(Seditionaries)」に変更。75年に、店の常連客だったジョニー・ロットンやシド・ヴィシャスを擁するパンク・バンド「セックス・ピストルズ(SEX PISTOLS)」をプロデュース。SM的要素を採り入れた前衛的なパンク・スタイルを流行させ、ヴィヴィアンは「パンクの女王」と呼ばれた。そして79年にブティック「ワールズ・エンド」をオープン。伝説の店となった。

*注13:ジョン・クリトル……ビートルズがキングス・ロード161番地にて1968年にオープンした、二店舗目のアップル・テーラリングの前身であるショップ、『ダンディ・ファッションズ』を経営していたオーストラリア人ファッションデザイナー。クリトルは、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・フー、プロコム・ハルム、エルヴィス・プレスリー、ジミ・ヘンドリクスの衣装デザインを手掛けた。

*注14:ブライアン・ジョーンズ……ロック・バンド、ザ・ローリング・ストーンズの元ギタリスト兼リーダー。1969年7月に27歳で死去。

*注15:オジー・クラークとアリス・ポロック……オジー・クラークは60年代後半から70年代前半において、ロンドンで活躍した伝説のデザイナー。65年にブティック『クォラム』を開いたアリス・ポロックと出会い、店のデザイナー兼経営パートナーとなる。その後、ブランド『アリス・ポロック』は、最先端のロンドン・ファッションとして60~70年代に流行。ミック・ジャガー&ビアンカ夫妻やブリジット・バルドーなど、世界的なセレブが顧客だった。店は83年に経営破綻した。

*注16:ミスター・フリーダム……1969年~72年まで存在していたショップ。キングス・ロード430番地でスタートしたが、70年代にケンジントン・チャーチ・ストリートに移転。

*注17:ブローセル・クリーパーズ……通称、ラバーソールのこと。英国のメーカー「ジョージコックス」が1949年に、伝統のグッドイヤーウェルテッド製法を用いた商品を開発、発売。50年代にリーゼントのテディボーイ達にヒット。キングス・ロードにあった店「ロボット」がミュージシャン用の靴を販売しており、70~80年年代に、このロボット別注品の製品が大ヒットし、略して「クリーパー」と呼ばれていた。

*注18:ジムフレックス……1936年、イギリス国軍に体育用のショーツを提供することから始まったブランド。英国では非常にポピュラーなブランドであり、英国ナショナル・ラグビーチームやチャールズ皇太子が所属していたポロクラブのユニフォーム、イートンやハーロウといった名門プレップスクールの体操着としても採用されている。

*注19:ショワディワディ……オールディーズをカヴァーしたり、オールディーズ・テイストのオリジナルを演奏する8人編成のバンド。1973年にザ・チョイスとザ・ハマーズが合体して結成。結成当時はポップなバンドだったが、デビュー曲 「HEY ROCK AND ROLL」 が74年全英2位の大ヒットを記録してから、オールディーズのカヴァーなども演奏するようになった。続くオリジナル曲が中ヒットに留まったため、以後は本格的にオールディーズ・カヴァーに転向。日本での知名度はあまり高くはないが、本国イギリスでの人気は高い。