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THINK PIECE

東京フールズゴールド

日本の音楽業界を舞台にした、川﨑大助による長編エンターテインメント小説にして、
「90年代」、或は「渋谷系」への鎮魂歌

13 10/30 UP

photo: Kentaro Matsumoto interview: Akio Nakamata

 

書き進める中で気づいた「小説」を書くということ
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この小説は「フールズ・ゴールド」、つまり贋金という言葉をタイトルに冠しています。これはストーン・ローゼズの曲名からとられているわけですが、よりダイレクトにマネー、あるいはミュージシャンとしての名声とか、音楽業界の虚飾性を象徴しているとも受け取れます。この作品については、「音楽業界の内幕を小説のスタイルで暴露した」という受け止め方もできるだろうし、「新人作家として処女作に自分のもてるすべてを投入した、それが音楽業界のことだった」という受け止め方もできますね。ご自身としてはどうですか。
「う〜ん、内幕暴露は意識してないですね。変な話ですけど、僕にとってロックロールは『宗教』みたいなものなんですよ。ものごとをなにかで喩えるとしたら、『ビートルズ中期の何々のような』としか喩えられない、他人から『それは少しオカシイよ』と言われることもあるくらい、ロックンロール原理主義者なんです(笑)。でも、そういう人間が日本の音楽業界にフィットするかというと、この小説の主人公もそうだけど、まったく合わない。というのも、ロックンロールというのは本質的に英語圏、つまりアメリカとイギリスのものだから、日本とは相容れない。これまで自分が、そういう音楽業界のせめぎあいの中でやってきたことは作品に反映されているかもしれません。じゃあ、『小説家になりたかったから、得意な音楽業界をネタに書いた』だけなのかと言われると、それもちょっと違う。この作品を書き進める途中で、これまで小説をある程度読んできたことや、じつは自分が小説を書きたいと思っていたことにはじめて気がついた。子どもの頃に読んでいた海外ミステリの手法を思い出して、小説はあらゆることが試せる表現ジャンルだということにも、書きながら気づいていったんです。テクニックだけじゃなく情念も込められるし、読者をあるところまで連れて行って、そこでポンと突き放すとか、小説という形式であれば、いろんなことが試せて面白いな、と」
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もともと小説を書く潜在的な素養というか、下地があった?
「僕は大阪南部のヤンキー地帯で育ったんですが、そういうところでも音楽はべつに格好悪くなくて、ヤンキーがバイクに乗って、ロックバンドを組んで、というライフスタイルは普通にある。だけど小説を読んでいるとか、映画を観ているという話は、誰ともしたことがなかったし、個人的なことだから人に話すものじゃないとも思っていた。だから当時からずいぶん小説を読んでいたけれど、その頃の蓄積は自分でもなかば忘れていたんです。そもそもあの頃は、『ライターになろう』とも思っていなかったし(笑)。いまは自分の天職は文章を書いていくことだと思っていて、その究極のあり方が『小説』なんだろうと気づいた。もう少し具体的にいうと、音楽業界にいてもこの先食えないな、って」
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小説のテーマ自体もカネですが、川﨑さん自身、『東京フールズゴールド』でドカンと当ててカネを得たい、少なくとも経済的に成功したいという思いがある、と(笑)。
「この小説の主人公と同じで、それは間違いなくありますよ(笑)。文章を書くなんて趣味でやればいいじゃないか、ちゃんとした職業をもっていて、その稼ぎでレコードを集めて、『レコード・コレクターズ』みたいな音楽誌にときどき寄稿する……なんていうのも、安定した良い生活かもしれない。だけど僕は、書いたり編集すること自体で生活を成り立たせたい。そうすることで、はじめて自分なりの足場というか領土ができて、そこから音楽や小説の世界全体に影響を与えられる。その領土をいまはすごく求めている気がします」

 

1990年代という時代、そして「渋谷系」という
ムーブメントに対する鎮魂歌
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この小説の登場人物は、はっきりと二種類に分けられますよね。音楽とカネを天秤にかけたとき、カネももちろん欲しいが、つい間違って音楽の方を選んでしまう「音楽バカ」とでもいうべき人間と、音楽への思いとは別に、そこで冷静にカネを選べる人間とに。音楽マニアのフルタはもちろん前者ですが、主人公の丈二も、自分では詐欺師的な悪漢であろうとしながら、じつは前者に属している。彼ら二人は、あきらかに作者の川﨑さんの分身です。でも同時に、音楽業界は冷徹なリアリズムで動いているわけで、作者としての川﨑さんは、前者のタイプの登場人物に愛情を注ぎながらも、カネ(およびそれに関する権利)の動きに関してはリアリズムに徹しています。
「ぼくのまわりにいる人間は、ニック・ホーンビィの『ハイ・フィデリティ』という小説をみんな読んでいるんですよ。町のレコード屋を舞台にした、音楽への善意に溢れたとてもいい小説ですが、あれも1995年に出たものです。つまりイギリスでも、その頃がレコード屋が最後に輝いた時代だった。同じ頃、日本でも渋谷系が全盛期で、音楽にとってすごくいい時代でした。それがのちに木っ端微塵になっていくのを見た体験は、やっぱり大きかったですね。自分で経営していたレコード屋を潰して、消息不明になってしまった友だちもいる。それはそれで残酷なことだけど、あの頃にじつに不思議に思ったのは、その現実に音楽ジャーナリズムがまったく対処しなかったことなんですよ。音楽ライターも『渋谷系は終わったね』などとレコード会社の提灯原稿を書いてるだけで、何もしない。そのときに初めて、ロックを『宗教』として信じている自分が親しみを感じてきたミュージシャンたちは、みんな社会的落伍者だったんだ、ということに気付いたんです」
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気付くのが、ちょっと遅すぎた気もしますが(笑)。
「きっと自分自身もその一人だから、気付くのが遅れたんでしょうね(笑)。1960年代の米英のロックの歴史をみると、20代でいろんな高名なミュージシャンが死んでいる。それは他人事だと思っていたけれど、気がつけば自分のまわりで、同時代のミュージシャンが何人も若くして死んでいった。日本のポピュラー音楽の歴史のなかで、そんなことが起きたのはおそらく初めてです。自分がそういう大きな歴史のなかにいたことに気づいたとき、それをどう切り出して伝えていくかを考えたら、雑誌を出し、そこで原稿を書くというのは現実的に無理だと思ったんですよ。クリエイティブとしては成り立っても、ビジネスとしてはもう成り立たない。でもフィクションの題材としてなら、自分が音楽業界で見てきたことや、出会ってきた人たちの人物類型を再構築するのは、うってつけだと思えたんです」
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ある意味、『東京フールズゴールド』は1990年代という時代、そして「渋谷系」というムーブメントに対する鎮魂歌ですよね。そういう弔いの感覚は、川﨑さんのなかではいつ頃から芽生えてきたんでしょう。
「1999年の段階でホントはすべて決着がついていたけれど、2000年代前半には裏原宿系ブームがあって、まだそれなりにゴールドラッシュみたいな状況があった。それらも含めてすべてが一段落したな、と感じたのが2004年頃で、その頃にマンガの原作としてこの企画を考えたんです。1990年代当時、「渋谷系」的な音楽シーンは決して崩れないと、僕自身が信じていた。世界中に同じような小さなレコード屋がたくさんあって、レコードが好きなやつらが音楽を作るという、当たり前のことが起きていたし、アメリカのカレッジ・シーンも完全にそれと連動していた。日本のシーンもそういう国際標準に近づいていったから、多少のアップダウンはあっても、このまま行くかなと思ったら、あんなにあったレコード屋がどんどん潰れていった。そのときにハッと気づいたのは、たぶんこれは過去のGSブームのときも、ニューロックやフォークのブームも、ニューウェーブのブームのときも、何度も繰り返して起きたことで、焼き畑農業なんだな、って。少しも地層にならない。でも、それが『日本』なんですよ。たぶんそこで引き裂かれていく感じというのを、自分なら小説で書ける気がした。『芸能界』という伝統的な音楽業界は、日本の社会に組み込まれている存在だから、とりあえず悪役に据える。もう一方にその世界から外れたはぐれ者がいて、という図式で捉えると、自分のやり方で『日本』というものを切り取れるんじゃないかって」