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THINK PIECE

SALU × BACHLOGIC

"本当の自分"をさらけ出したSALUのファースト・アルバム、「IN MY SHOES」。

12 2/29 UP

photo: Kentaro Matsumoto styling: Jun Hirano text: yk

アンダーグランドなラッパーからメジャーアーティストまで、
幅広くプロデュースを手がけるBACHLOGIC主宰のONE YEAR WAR MUSIC第一弾アーティスト、SALU。
卓越したフロウスキルとリリック、独自のスタイルでニュー・タイプと形容される彼が、
BACHLOGICと共に作り上げたファースト・アルバム「IN MY SHOES」に込めた思い、そして本当の自分。

 

SALU

1988年北海道生まれ。HIP HOPのジャンルを越え響くリリック、着眼点やテーマ、
他には真似できない日本人離れしたフロウスキルでSEEDA、NORIKIYO、SIMONらが絶賛する若手RAPPER。
1st ALBUMはこれまで数多くのクラシックを生み出しているプロデューサーBACHLOGIC、新世代プロデューサーOHLDの二名が
サウンド面を支え、2012 年にリリースされる作品の中でも間違いなくトップレベルの「大型新人アーティスト」。
http://salu-inmyshoes.com/

BACHLOGIC

HIP HOP/R&Bの作品を中心に、プロデュース、アレンジ、リミックス、エンジニアリングなど、多岐にわたる楽曲制作活動を行う。
大阪にてDOBERMAN INC.やJAY’EDをはじめとする数多くの地元アーティストへの楽曲提供により、
コアなリスナーへの認知が急激に高まる。2007年より活動の拠点を東京へ移し、
SEEDAからZEEBRA、AI、EXILEなどへの楽曲提供を行い、全国区においても新たなファンを増やし続けている。
http://www.oneyearwarmusic.com/

 

──
これまでのバックグラウンドについて教えてください。
SALU(以下: S )
「音楽を好きになるまでは、特に何もしていなかったですね(笑)。ただ与えられたことをこなすという感じで。ジャズやファンク、たまにヒップホップも流れているような家で育ったので、音楽は意識して聴いていたというよりも常に僕の中にあった感じですね。ただ、改めてヒップホップを考えるようになったのは、中学校2年生くらいの時にEminemが流行り出したころ。Eminemから50 centにいって、どんどん掘り進んでいった感じです」
BACHLOGIC(以下: BL )
「うちは兄貴が音楽好きで、家では常にスチャダラパーから洋楽まで何でもかかっていので、目覚める前から常に音楽は聴いていましたね」
──
自分で音楽を作ってみようと思ったタイミングはどんな時だったのですか?
BL
「高校1年生の時、兄貴がDJをやっていて家には既にターンテーブルがあったので、自分はサンプラーを買ってみたんです。当時、日本にはあまりトラックを作っている人がいなかったので、自分はDJではなくトラックメーカーでいこうと思っていましたね。DJをやろうとした時もあったんですけど、スクラッチで挫折して向いてないなと思いました(笑)。ゲームが好きだったので、フィジカルなDJよりも一人で黙々と作業するトラックメイキングの方が向いていたんですよ(笑)」
S
「僕がラップし始めるようになったのはEminemにハマる少し前、Kick The Can Crewさんの曲で、日本語のラップを初めて聴いたのがきっかけですね」
──
当時からSALUという名前は使っていたのですか?
S
「ラップし始めて1年くらいしてからですね。日本人が海外の人から"イエローモンキー"って呼ばれているのを知って、だったらその日本人を代表して"猿=SALU"かなと。ひねくれていましたね(笑)」
──
キャリアをスタートされた当時、影響を受けたアーティストはいますか?
S
「当時はいわゆるラッパー、という人に惹かれていましたね。それこそLil Scrappyとか50 centとか。ブリンブリンのアクセサリーや高級車、彼らのPVに出てくるような生活に憧れていました」
BL
「僕がトラックを作り始めた当時はサンプリングを軸にしていたので、やっぱりDJ PremierとかPete Rockです。その後はTimbalandとかKanye Westに影響を受けていましたね」

 

──
BACHLOGICさんはどのようにプロデューサーとしてのキャリアを重ねていったのですか?
BL
「元々は大阪のDSTという事務所でコンスタントに地元アーティストのプロデュースをしていて、それから徐々に外部のアーティストへもトラックを提供するようになりました。しばらくそれを続けているうちに、趣味でヒップホップを聴いているというメジャーアーティストの人達からも声をかけてもらえるようになって。始めのうちはアルバムの中の一曲だけという感じだったんですけど、最近はシングルも含めて広がってきましたね」
──
アンダーグラウンドなラッパーとメジャーなアーティストでは、プロデュースの手法も異なるのでしょうか?
BL
「メジャーでやる時はトラックメイク、メロディメイク、その他諸々、それぞれが担当を持ったチームとして制作しています。以前は作る時の意識として、メジャーではなるべく自分の我を出しすぎないようにして、父親や母親に聴かせられるようなもの、反対にアンダーグラウンドではよりコアな人たちに向けたもの、という棲み分けをしていたんですが、最近は自分の立場が変わってきたこともあって、徐々にそれも無くなってきましたね」

──
これまでのBACHLOGICさんの活動はアーティストからのオファーに応えるという、ある意味受動的なスタンスだったと思うのですが、今回、自らレーベル”ONE YEAR WAR MUSIC”を設立したことにはどのような思いがあるのでしょうか?
BL
「こういう時代、待っていても良い事がないので。"SALUのアルバム、できたけどどうする?"となった時に、自分たちでやるしか方法はないなと思ったんです。僕とOHLD君という地元のプロデューサーで作ったんですが、リリース先は決まっていなくて。せっかく良いものができたので、大事にしたかったんですよ。それで二人で話し合ったり周りの意見を聞いたりしているうちに、結局自分たちでレーベルを作ってリリースするのが一番だな、ということになったんです」
──
お二人の出会いはどんな時だったのですか?
BL
「他のアーティストのレコーディングの時にSALUが来ていて、その時にデモCDをもらったのが始まりですね」
S
「そうでしたね。ありもののインストにラップを乗せた曲を20曲くらい入れたやつでした」
BL
「最初はそこまでインパクトが無かったんですよ。でも後からじわじわときて、そこが逆に今っぽいなと思いました。ガツガツとしたラッパーと違って、変に気を張らず楽に聴ける。良い意味で気が抜けていたので、これをきちんとパッケージングしたら面白いものができるなと感じましたね」
──
制作の際に意識されたことはありますか?
BL
「SALUとは10個も歳が離れているので、音に関しては若干の若作りをしましたけど(笑)。新し過ぎて伝わりづらいものよりも、ストレートで広く受け入れられてもらえるものを作ろうと話していましたね」