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THINK PIECE

[ジージージージー] グルーヴィジョンズ展

"道具"としてのグラフィックデザインの展覧会。

11 8/3 UP

interview:Tetsuya Suzuki, Takeshi Kudo (Rocket Company*/RCKT)

8月4日から27日まで、伊藤弘率いるグルーヴィジョンズが
GGG(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)で展覧会を開催。
グルーヴィジョンズのデザインに対するスタンスから、
オープニングを直前に控えた展覧会についてまで、伊藤弘自らが解説する。

 

──
いよいよ8月4日から、ギンザ・グラフィック・ギャラリーでの初めての展覧会「ジージージージー」が始まります。
「GGG(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)というのは、日本のグラフィックデザイン界の保守本流の象徴のような場所だと思うんです。けれども僕たちは、出自がグラフィックデザインの本筋ではありません。例えば、誰か師匠のもとで修行してということではなくて、マックがあったから何となく始めたというタイプ。ストリート上がりのチンピラみたいなもんですよね(笑)。今までたくさん展覧会をやってきたけど、純粋にグラフィックデザイン作品を見せるということではなくて、いうなれば、あるひとつのカルチャーがあって、そこにあるものをグラフィックデザインという切り口を使って見せるという展示しかやってこなかった。だから、今回GGGでやることになって、今までとは取り組み方がまるで違いました」

──
でも、そのグラフィックデザインの保守本流ではないというところが、グルーヴィジョンズらしさでもあるわけですよね。
「それはあるかもしれないですね。僕たちが作るものは、"純"なグラフィックじゃないんですよ。"道具"グラフィック、ツールとしてのグラフィックなので、余計なことを考えずにものを作れるひとつの理由かもしれません。どちらかというと職人的なグラフィックデザイナーというか、はっきりとその割り切りがあって、そのうえで、"道具"の中でのモダニズムでありたいと思ってきたんです」
──
そんな割り切ったスタンスなのに、グルーヴィジョンズは"純"グラフィックのデザイナーよりも作家性の強いグラフィックを作ったりする。それも"道具"の持つ強みからなのでしょうか?
「グラフィックデザインはもちろん、ファッションにもイラストレーションにも、"純"か"道具"かという線引きがあると思うんですけど、日本で"純"が世界で最も認められている分野は建築だと思う。わかりやすいので、建築を例にして"純"と"道具"の関係はすごくよく考えますね。日本では古い木造建築から現代建築まで、つながっている部分があるじゃないですか。西洋のモダニズムが入ってきたことで、流れがぶった切られたということじゃなくて。実はグラフィックデザインの世界もこれと近いものがあると思っていて、例えば安土桃山時代の琳派の屏風絵と現在のグラフィックデザインはそんなに離れていなくて、地続きでつながっていると思う。そしてその流れは、"純"ではなくて、どちらかというと"道具"と呼ぶべきグラフィックデザインのような気がしています。だからこそ"道具"の方が安定感を持っているのかもしれないと思ったりしますね」

 

──
つまり、"道具"的グラフィックデザインは大衆的な感性から、ずっと離れていないということですか?
「そうそう。そこが何か日本独特の部分で、僕はすごく好きな、いいところだと思ってますけどね」
──
グルーヴィジョンズの表現も、クライアントのオーダーに応えていくというよりは、コミュニケーションの方向、アプローチする先にあるのは、それを目にする不特定多数の人々ということでしょうか。
「そうかもしれません。やっぱり何だかんだいっても、グラフィックデザインって、コミュニケーションじゃないですか。だからそのグラフィックがどこを向いているのかというのは、プロじゃなくても、誰でも敏感に感じるものだと思う。ちょっと謎があって面白いものができても、それがどういう方向に向いているかが曖昧なままだと、なかなか落ち着かないんです。その着地しない浮遊感というのは、"純"グラフィックが担当すべき領域で、僕らは"道具"を目指しているので、曖昧な部分を嫌って、はっきりと方向性を強調する作業が行うんです。その向きというのは、割とユーザーの方をなんですよね」

──
メンタリティの違い、あるいはやろうとすることの方向性など、"純"グラフィックデザイナーとの、一番の違いは何だと思います?
「いい意味でも悪い意味でも、制作のスタンスがなかなか等身大から出られない。広告の表現であるような、大きくて良い嘘がつけないというか……。どうしても身の回りの範囲の内で作ってしまって、その距離感を崩せないのが僕たちの特徴かもしれないですね。これはデメリットであると同時にメリットでもあって、対象との距離感というのは倫理的なものなので、実は現在のスタンスが誠実だと思ってやっている部分もあります。ただ、できるならやりたいんですけど、僕らには無理だった。やったこともあるんですけど、大概何かのパロディみたいになっちゃう(笑)」
──
それって、最終的には「好き、嫌い」で判断するっていう?
「そう。だからそこが育ちの悪いところで(笑)。でも、その距離感みたいなものは独特かもしれないですね」
──
その距離感の結果として、作家性がにじみでてくるのだと思うのですが、その一方で伊藤さんを見ていると、オリジナリティというものにも実はこだわりがないようにも感じるんです。
「どちらかというと、オリジナリティにこだわらないことにこだわっているようなところがあります。とにかくそれをプライオリティの最上位に置きたくないんです。5番目くらいでいい。それは作品単体ではなくて文脈で出ればいいなと思っているし、そしてその文脈というのは、こちらから操作するものではないと思っています」