KEIICHIRO SHIBUYA
音楽家・渋谷慶一郎の5枚目のソロアルバム
「ATAK019 Soundtrack for Children who won't die, Shusaku Arakawa」が発売
13 11/7 UP
photo: Kenshu Shintsubo interview & text: Tetsuya Suzuki, Madoka Hattori

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- それはパッケージや流通形態にも影響してくるということですね。
- 「ジャケットは荒川修作さんの『こんにちはピカソ』(1973年)という僕が好きな、しかし彼の作品の中では決してすごく有名というわけではない作品を使わせて頂いて、インナーや裏面などで合計4点の作品を使用していたりするんだけど、体験としてこのジャケットに含まれるCDを持つということが面白ければいいわけで、あえてCDというモノにフォーカスしてみた。これは一見ナイーブに見えるけど、モノで売るということと作品性の間で出来ることは限られてるから、やってみて可能性の枠を知ればいいだけです。つまり、音楽をカルチャーやアートの枠から考えて進化させたいという人とは出来ることがあるけど、単に音楽で当てたいみたいなのは成功例なぞるだけであんまり面白いことにならないですね」
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- それが、杉本博司や荒川修作といった人たちとの、映画だけでなく、いわばコラボレーションのような作り方に自然となっていったと。
- 「杉本さんと荒川さんは、モノトーンとカラフルというか、一見真逆なタイプの作家ですよね。でも僕は両者とも尊敬しています。それは、彼らの創作における肯定力なんです。『これはもうやられているからこれができない』みたいなポストモダン的な消去法の決定力ではないのが現在と相性がいいというか、現代的だなと思います」

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- 映画音楽としての可能性はどのように感じていますか?
- 「これは単純な話で、映画音楽という仕事は僕が生きているうちは絶対無くならない。CDやDVDはなくなることがあっても、映画音楽という職種がなくなることはなくならないから、これから何が出来るか考えることは有意義です。映画『セイジ』のサントラを作ったときは、その前に音楽で参加した映画『告白』サントラのコンピレーション的な作り方を見て、これのエレクトロニカ版が出来るなと思ってプロデュースしたりした。杉本さんと荒川さんのほうは、僕自身のソロアルバムに近づけてみたりした。映画音楽というフレームもオペラと同じように、古典的な枠組みだからこそ書き換えられる面白さがあると思います」
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- 自分自身のアイデンティティを、スタイルでも器でもない、変化していくことでより強めていく。今回の作品はよりピュアで、渋谷慶一郎らしさが素直にでているのかなと。単純に聴きやすいということもありますよね。
- 「そう、僕は変化が好きです。普遍性みたいなものに意味があるとしたら、変化していく中で残っているものだからなわけで、普遍性そのものを目指したりするのは筋違いというか勘違いですよね(笑)。今回の『ATAK019』のようにある程度フリーフォームで自分が好きなように音を出している作品で大事なのは聴けないといけないことです。第一次情報として、まず耳に残らないといけない。その奥に色々なレイヤーがあって何度聴いても発見がある、という。そこはかなり気を使いました。このアルバムでいわゆるレコ発イベントみたいなのをするのは難しいかなと思うし、今どきレコ発っていうのもどうかと思うので(笑)、THE ENDのパリ公演後、年末に東京で久しぶりのソロ・コンサートを予定しています」