『今、“FUTURE”なものは何か?』ってことだけれど、それでいうなら、むしろ、現在失われつつあるものが気になりますね。そして、それを保ち続けている人や作品が自分にとって重要になっている気がする。それを僕なりの気分で言い切っちゃうと「粋」ってことなんですよ。逆に言うと今、「粋」なものがどんどん無くなってきていると思ってるんです。どこが“FUTURE”なんだってハナシだけどね(笑)。 |
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とにかく、粋じゃないこと、つまり「無粋」なことはしないって人たちのことが、気になる。で、代表は細野(晴臣)さんや横尾(忠則)さん。で、細野さんのエピソードなんですけれど、「自分は食事をするのに店の予約なんてしない」ってエッセイに書いてる。「その日に何が食べたくなるかなんて前もってわかるか」っていうんだけど、確かに粋な考えだな、って思いますよね」 |
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「メディアがライフスタイルを巡る状況を変えてしまったって部分があると思うんです。それこそネット上での情報過多により、なにかバランスの悪いスタイルがもてはやされている気がするんです。インターネットによって誰もが発信できる時代、だれでもデビューできる時代。それが良い悪いという以前に、こういうメディア状況じゃなかった頃に、自分の考えを世に発信した人たち、発言権を得ることができた人たちっていうのは、いわゆるブロガーにはない、強さを感じますよね。そのなかでも個性的だった人、例えば、池波正太郎さんの本なんか、ただ、「何を食った、家人になんとか作らせた」とかばっかりだけれど、ついつい読んじゃうし、やっぱり、面白いんですよね(笑)。細野さんや横尾さんのエッセイにも同じような強さと面白さを感じます。ましてや、この2人はそれぞれ音楽、絵画の人なのに文章も上手いというのが、本当に凄いな、と。で、やっぱり、言ってることは何てことないんだけれど、読むとやっぱり“ポン”と飛ばされる。僕が子供の頃の東京にふっと戻されたりね。つまり、自分の内側にアクセスできるメディア、しかもスタンドアローンでそれだけで完結するもの、という意味で今こそ“本”を必要としてるのかもしれませんね。植草甚一さんの本とかそういう感じがします。植草さんの本って、要は個人的な趣味や偏愛の固まりじゃないですか。でも、それが良いんですよね。そういうアーカイブとしての本がいい」 |
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