過去12年間、同じ時間に起き、同じ回数だけ歯を磨き、同じ歩数と歩幅で同じ時刻のバスに乗り、同じようなペースで同じような仕事をこなし、いつもひとりで夕食を取って、同じ時間に床についていた、これといって取り柄も特徴もない会計検査官ハロルド・クリック。ある朝、そんな彼の微細な行動をやたら文学的にいちいちナレーションする女性の“声”が頭に響きはじめる。あろうことかその“声”は「この些細な行為が死を招こうとは、彼は知る由もなかった」などと語りだしたのだ。 |
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なんだか判らないうちに死が近づいている(?)事実に怯え、彼は救いの手を文学理論の大学教授に求める。そして突き止めた“声”の主は……なんと高名なイギリス人女流作家。ハロルドはまさしく執筆途中の彼女の新作の主人公だったのだ。だがシニカルなことで知られる彼女の小説では、主人公は最後に必ず死ぬものと決まっていた! |
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まさに奇想。登場人物の行動をナレーターが一歩先にイジるギャグは古典的なものでもあるが(本作中では「三人称の語り手の全能性について」と謂われる)、それをテーマとしてこれほど昇華させたメタフィクションは前代未聞。監督がシリアスな人間ドラマの名手として名声高いマーク・フォースターだというのも驚きである。 |
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『チョコレート』('01)でハル・ベリーの、『ネバーランド』('04)でジョニー・デップの新生面を見いだした彼が、今回主人公に選んだのは、アメリカン・コメディの人気者ウィル・フェレルだ。 |
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「コメディは前から撮りたかったんだけど、自分のユーモアのセンスに合ういい脚本にめぐりあうことができなくて。僕はヨーロッパ人(父はスイス人、母はドイツ人)だから、アメリカン・コメディのセンスにはかなり違和感がある。だからウィルの今までの仕事にも馴染がなくて。彼のやったものをいくつか見たけど、その段階では僕のセンスとはちょっと違うユーモアかなと正直思った(笑)。でも会ってみて直感的に彼だと即決したんだ。僕は俳優が、今までやったことのない役にキャスティングするのが好きでね。ウィルもアドリブなしの抑えたものにしてほしいという要望にノってくれて、微妙なニュアンスを出してくれた。彼本来の普通人の顔のね」 |
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普通人の日常、とはいってもありきたりな描写がなされるワケでは決してない。メカニカルなまでの反復繰り返しからなる動作のたびに、細かなゲージやグラフがハロルドの周りにちょこまか現れる。これが理系グラフィックとしてかなり斬新で楽しい。 |
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