「家族」という単位においてでさえコミュニケーション不全な世の中で、異なる民族が共に暮らすってのはやはり容易なことではない。言葉も違うし考え方も違う。ましてや、天上天下唯我独尊的傾向にあるアメリカ社会と付きあっていくとなると尚更だろう。
かつて『愛と追憶の日々』('83)でも母と娘の繋がりを描いたジェイムズ・L・ブルックス監督が『スパングリッシュ 太陽の国から来たママのこと』で紡ぐのは、メキシコから“エコノミー・クラス”(つまり違法越境ね)でアメリカにやってきたシングル・マザー、フロール(パス・ベガ、美しい!)の物語だ。英語が全く喋れない彼女はヒスパニック居住率の高いロサンジェルスに居を定め、裕福なユダヤ系のクラスキー家で家政婦として働くことになる。
レストランのオーナー・シェフであるこの家の主人ジョンを演じるのが、全米きってのコメディアン(日本では不遇だけど)アダム・サンドラーであるから、いずれフロールとの恋も絡んでくるのは必然。しかもこのプラトニックで倫理的な“不倫の恋”が、サンドラー的ロマンティック魂全開で素晴らしいのではあるけれど、あくまで映画の主軸は親子の問題、言葉の問題、民族的アイデンティティの問題、そして教育の問題にある。
美人で聡明なフロールの娘を自分の娘よりも可愛がり、アメリカ風ライフスタイルに染めてしまおうとするジョンの妻。かたや物質主義に懐柔されることなく、ラティーノとしての誇りと優しさをこそ娘に学ばせようとするフロール。このふたりの決定的な意見の相違に、多様性を認めるというよりも画一的な規準の内に異文化を収めてしまおうとするアメリカニズムへの批判を読みとることもできるだろう。ま、ブルックスは毒気たっぷりのファミリー・アニメ『シンプソンズ』のプロデューサーでもあるわけだからな。 |