昨年発売されたアルバム『Satisfaction』が、インディペンデントレーベルからのリリースとしては異例の好セールスを記録し、一躍“ウワサのアーティスト”となった猪野秀史。彼の東京では初となるライブショーが3月31日、恵比寿リキッドルームで行なわれた。
アルバム『Satisfaction』はマイケル・ジャクソン「BILLY JEAN」、ビル・ウィザース「JUST THE TWO OF US」など耳になじみのある“名曲”をフェンダーローズのメランコリックな響きをフィーチャーしたジャジーなインストでカバーするという明快なコンセプトが、セールス的な成功をもたらしたのだと、やはり思う。そのコンセプト自体は、ともすれば、ヌーベルヴァーグ、セニョール・ココナッツなどに端を発する“カバーバージョン・ブーム”に乗った、あざとい“狙い”と映りかねないものだが、猪野のナイーブで趣味の良いアレンジによって、音楽へのピュアな想いがダイレクトに伝わる佳作となった。余計な色気のない、良い意味でのアマチュアっぽさが『Satisfaction』の最大の魅力なのだと思う。
と同時に、「とはいえ、あまりにナイーブすぎはしないか」と感じさせる部分もなくはなかった。だが、そうした猪野への少々ネガティブな感想は、この日のライブで完全に覆ってしまった。
猪野のキーボードを中心にベース、ドラムのトリオ編成での演奏は、各々の楽器の響き具合を十分に計算したダビーでラウドなサウンドで会場を包み込む。
アルバム『Satisfaction』の音は、ともすれば、カフェ向きのイージーリスニングとも捉えかねられないものであったが、ここでのプレイはビートもグルーヴずっしりと効いていて、ロック的な熱気をも内包した迫力と凄みのあるものに変わっていた。
そして、ゲストとの共演が、このバンドのまた違った表情を引き出す。
ボブ・マーリー『Waiting in vain』、スタイル・カウンシル『My ever changing mood』、カルチャー・クラブ『Do you really want to hurt me』をカバーした藤原ヒロシとの共演では軽快でキャッチーな「大人のロック」を披露し、小西康陽が仏頂面でベースを弾いた『Never Can Say Goodbye』では「ハードボイルドな男の世界」を表現。
多彩でパワフル、そしてピュアなこの日の猪野のサウンドは、キャパシティを若干オーバーしているのではないかというほど詰めかけた満員の観客を十分に納得させ、興奮させただろう。
彼はこの圧倒的なライブの音を次のレコーディング作品に、どう反映させるのだろう。次作が実に待ち遠しい。
Text:Tetsuya Suzuki