アイルランドはダブリンの街中で、毎日バスキング(路上弾き語り)している中年男性シンガーソングライターがいる。彼はロンドンに滞在していた時代に知りあった女性が忘れられず、今でも作る曲のほとんどすべてが彼女への想いを綴ったものだ。
新天地を求めてチェコから移ってきたものの、夫は故国に帰ってしまい、幼い娘と老いた母親が両肩にのしかかった格好の女性がいる。彼女はおそらく10代後半、すべてを過去にするにはまだ年月の足らぬ年代だ。
そんなふたりがある夜、街角で顔を合わせた。男は父親と掃除機の修理業もやっていて、女は彼の女々しい曲(笑)に興味を持ち、翌日、まるで犬っころのように壊れた掃除機を引き連れてふたたび路上にやってくる。
彼女に音楽の素養があるのを知って、男は彼女行きつけの楽器店(自由にピアノを弾かせてくれるのだ)へ着いていく。ピアノとギター、そして歌。簡単なコードとパターンを暗黙の了解としてセッションするふたりに電磁波が走る……。
互いに歌を……歌詞を、メロディを交しあうなかで育てていく、互いにずかずかとは踏み込めない恋心が、美しくも切なく、しかも慎み深い。こんな節度のある恋愛映画は稀じゃないか。すべての思いは歌に託され、キャメラはふたりの距離を的確にすくい上げていく。とりわけ、夜の街路を歩きつつ、彼の作ったメロディに彼女が歌詞を付けていくシーンなど、ヴィデオ時代だからこその強みを見事に発揮したものでもあるのだ。
主演のふたりは現役ミュージシャン(なんでもこの映画が決定的なものとなり、リアルで付きあってるとか)、監督もまた元ミュージシャン。素人臭さを装いつつも、いやあ、これはかなりの確信犯ではないのか。多くを語らずともふたりの過去を想起させる巧さ、そしてクレーンを駆使したラストショットの余韻がそう思わせるのだけれど、ともあれ紛れもなく、本年屈指の美しい映画であることは間違いない。
Text:Milkman Saito