今年の米アカデミー賞でなんと8度目の主演男優賞ノミニーとなったピーター・オトゥール。何年か前にすでに「名誉賞」(彼の場合、典型的な「何度もノミネートされているのにいつもあげられなくってごめんね、で賞」だった)を彼は得ているが、そのときも生涯現役を明言してはいた。とはいえ、式典で名を読み上げられても表情の変化もない彼に演技は可能なのか?…と訝しんだ僕だが、その対象作となった本作を観て、それがあまりに失礼な感想だったことを思い知った次第。半ばドキュメンタリー的に(?)歩みもままならぬほど老いたオトゥールを捉えた部分もあるとはいえ、演技者としての頭脳は機敏に回転しているのだ。
オトゥールの演じるのは、70歳を越えて仕事も死体役しか来なくなった、かつての名優モーリス。今では俳優仲間のイアンらと、カフェで呑んでる薬の数を比べあう日々だ。そんなとき、はたちそこそこの、田舎から飛びだしてきたイアンの姪の娘ジェシーに出会う。モデルになりたいというのは口ばかりで、教養とも慎みとも愛想とも美しさとも縁のない女性。でもその若さと物怖じしない奔放さに、かつて女たらしで鳴らしたモーリスの心が疼きはじめ……。
さすが名優、パンクで空虚なフリの向こうに彼女の真実の姿を見つけたのか、それとも単にエロ心が甦ったのか。まさしく“カサノヴァ最後の恋”を地で行くオトゥール独特の青ガラスのような瞳は、表情はこわばりがちながらも、沸き上がる欲望と恋の昂奮を湛えて、ジェシーのみならず観客の心をも溶かしていく。何より素晴らしいのは、老年の恋だからといって悟りきったようにならず、ジェシーの肉体やその匂いに好奇心満々なこと。セクシュアルな生々しさを残しつつも下品に堕ちず、老いさらばえつつも粋な快楽主義を貫く主人公に羨望する男性陣も多いことでしょう。おそらくスッピンで老境にあることをさらけ出す、別居中の妻役のこれまた名女優ヴァネッサ・レッドグレイヴとのシーンも美しい。
Text:Milkman Saito