「ラスト7分11秒の衝撃」がやたらと喧伝されているように、本作の最後の最後には大ドンデンが仕掛けられている。そういう意味では王道すぎるほどの大衆ミステリ、2時間ドラマ的と言ってしまってもいい(笑)。まぁ確かに意外ではあるかも知れないけれど、しょせん最後っ屁なんてコケおどし、実のところ僕の興味はそこにはないのだ。デビュー作『俺たちの明日』('84)以来、うわべのイメージとはいささか異なるクセのある映画を作りつづけてきたジェイムズ・フォーリーの狙ったものも、やはり別のところにあるのではないか。
物語はといえば……NYの大手広告代理店CEOハリスン(ブルース・ウィリス)と関連があるらしい幼なじみの変死事件を追う新聞記者ロウィーナ(ハリー・ベリー)。名前を変え、派遣社員としてハリスンの会社に潜入したロウィーナは、同僚のコンピュータおたくマイルズ(ジョヴァンニ・リビシ)の能力を借り、ハリスンの裏の顔に接近していく……というもの。
なにより面白いのは、彼ら3人がサイバー・ネット上の匿名性のもとに繋がっていること。とりわけセクシャルな関係性において、今やオンライン・チャットは無視できないものだと思うが、これを時代に則したモラリズムのうえで考えず、扱ったとしてもいくらか批判的側面を強く打ちだしていたのが今までのハリウッド映画。もちろんこれはサスペンスであるから、そうした関係性の負の側面も炙りだされてはいるが、それにしても彼らはチャットで出逢うことを後ろめたいことなどとは少しも感じていない。テクノロジーの進歩により、しぜんと生まれ発達した邂逅のかたちとして普通に受け入れ活用し、エンジョイしているようにみえるのだ。
嫉妬深い妻に頭の上がらぬハリスンは、昼間っからチャットして女性をクドきまくる。マイルズも電脳一辺倒のオタク野郎に見えつつ、内緒でちゃっかり欲望を満足させている。ロウィーナは匿名性を最大限に活用してネタを探る……。
誰もが実像と虚像のあいだに生き、その次元で他者と繋がっていく世界。そこでは必ずしも「個」を特定することが必要視されるわけでもない。そうした現在ならではの、これからも多様化していくに違いないコミュニケーションの可能性に、大胆にしてさりげなくアプローチしているのが本作の本当の面白さなのである。
Text:Milkman Saito