腰のところを太い鉄鎖で縛りつけられ、地に膝をつく半裸のクリスティーナ・リッチ。その背後に仁王立ちし、彼女から伸びた鎖をがしっと掴んだサミュエル・L・ジャクスン……。古いパルプ小説の扇情的なジャケットを装ったようなオリジナル・ポスターが強烈な本作(http://www.moanmovie.com/)、まぁ確かにそういうシーンは中核のイメージとしてあるのだけれど、実はそうしたエクスプロイテーション的なものとはまったく逆なところに着地するのが面白い。
舞台は現代、アメリカ南部の田舎町。恋人が戦場へ去ってからセックス依存症がぶり返し、町の男どもをつまみ喰いし続ける女、レイ。「一緒にいると棺桶に入ってるようだ」と妻に一方的に告げられ逃げられた男、ラザラス。年齢も人種も異なり、まったく別の人生を歩むふたりだが、いずれ結びつくのが必然であるかのように、冒頭から両者を照らし合わせるような形で描かれていく。無論ふたりは不穏なできごとをきっかけにようやく出会うのだが……。
そこからがあのポスターのイメージ。ラザラス=ジャクスンは、レイ=リッチ(昔と比べりゃずいぶんスリムになった彼女、でも体型からしてもうエロエロ。もちろん演技力は抜群だしね)を鎖で繋ぎ止めて室内に監禁するのである!……ただし、誰もが想像するようなセクシュアルな関係は生まれない。ラザラスは敬虔なキリスト教徒にして元ブルースマン。悪魔憑きに対峙するエクソシストよろしく、情欲の炎に苛まれるレイを監禁して、身体から魔物を追いだそうとする! 映画そのものが唸り狂うような迫力、綿密にしてショッキングな演出力、主演二人のガチンコ演技は圧倒的だ。
もちろんそこには実の弟に妻を奪われたラザルスの捻じれたセックス観も混じっているのだけれど、ふたりの欲望と抑圧と狂気がぶつかりあううち、やがて雷鳴のようにとどろくエレクトリック・ギターの音の中で浄化されていく。
そう。この映画の根っこには、とても真摯なキリスト教的モラリズムがある。しかしそれを下らないものとして拒否していては、アメリカ音楽の真実にはとても至らないだろう。抑えようとしても抑えられぬ人間の愛欲を、神への愛と対比しつつも「歌」として昇華するブルースの真実が間違いなくあるのだ。
そもそもタイトルの「黒蛇のうめき」とはブラインド・レモン・ジェファースンが自己の内面の蠢きを唄った曲の名前。そして映画の冒頭には、いまひとりのブルースの巨人サン・ハウスの記録映像が引用される……
「ブルースは男と女のあいだから生まれる」。
うん、なるほど。これはブルース(ならびに西欧音楽)の根源に迫る、ある種の音楽映画なのである。
Text:Milkman Saito