大人でいようと努めることほど退屈なことはない。なにが「大人になること」なのか本当のところ自分でも判っちゃいないのに、いつしか世間に絡めとられて大人らしく振る舞うことを強要されるようになる。やがて自分のなかの子供は、ぎしぎしと音を立てて不満を洩らしはじめる。
この映画の登場人物はそろってそんな奴ばかりだ。公園での昼下がりの井戸端会議に仕方なく加わってる主婦サラは、奥さまたちのアイドル主夫“プロム・キング”ブラッドに急接近。毎日へのぼんやりした不満から、ついに一線を越えてからはロマンティック・ラヴまっしぐら(ケイト・ウィンスレットが豊満な全裸さらしまくりの体当たり演技で哀しいやら可笑しいやら。かたやブラッドの妻役ジェニファー・コネリーはヌードこそないもの見事なお尻をこれみよがしに見せつけて、その対比がずいぶん意地悪)。
そのブラッドの友人で消防隊員のラリーは、刑務所から町に戻ってきた幼児性愛犯罪者の排除運動に躍起になっている。だがそれも夫婦関係が壊れてしまった憤懣をぶつけているだけ、つまるところイジメっこに退行しているだけなので、ハタ迷惑なこと犯罪者の比ではない。
そもそも彼らの恋愛にしろ排斥運動にしろ、つまるところ日常的かつガキっぽいレヴェルでの代替行為に過ぎない。したがって容易に別のものと取り換え可能だ、というのがこの映画の醒めたところなのだな。リース・ウィザースプーンとアレクサンダー・ペイン両者の出世作となった“Election”=『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ! 』と同じ原作者だけのことはあるシニカルさだ(三人称的なナレーションもきわめて文学的)。
しかし、である。登場人物の中にひとり、代替不能の欲望を持つ人物がいるのだ。それがジャッキー・アール・ヘイリー演じる幼児性愛者。公共プールに出現するシーンの、その確信的かつ悪びれない姿を見よ! 決して生き方を変えられないことを自覚していればこその苦悩と諦観、本気で子供のままでいたい大人とは、かくも深刻にして可笑しく辛い。
Text:Milkman Saito