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THINK PIECE

Peter COFFIN

ヨコハマトリエンナーレ2011で展示中の
ピーター・コフィンが自身の作品を解説

11 8/26 UP

text:Naoko Aono

「ヨコハマトリエンナーレ2011 OUR MAGIC HOUR-世界はどこまで知ることができるのか?-」会場の一つ、ヨコハマ創造都市センター(YCC)に置かれたこぶりのかわいい温室に、ぎっしりと鉢植えが並べられている。その温室には常に音楽が流れていて、ときどきミュージシャンがやってきて植物のために音楽を演奏していく。このちょっと心温まるアートを作っているのはピーター・コフィン。ニューヨークをベースに活動している彼に、なぜこんな奇妙なアートを作っているのかを聞いた。

ピーター・コフィン / Peter COFFIN

アーティスト。1972年カリフォルニア(アメリカ)生まれ、ニューヨーク在住。これまで、UFOや微小国家といった社会的な現象を扱った作品や、天体などの自然の摂理に着想を得た作品がある。

 

──
この《無題(グリーンハウス)》を作り始めたきっかけは?
「これは2002年から取り組んでいるプロジェクトで、きっかけはレコード・ショップで見つけた『Music for Plants』という70年代のレコードだった。その頃は植物に意識はあるのか、といったことが話題になっていて、まあ半分冗談みたいなものだけど、変なことを考える人がいたんだなと思って興味を持ったんだ。ある草にモーツァルト、バッハ、ロック、ラヴィ・シャンカル(インドのシタール奏者による伝統音楽)を聴かせたらラヴィ・シャンカルがもっとも根の生長が速かった、みたいな研究もされている。それで僕も友達のミュージシャンに"植物に聴かせる音楽"を演奏してもらう作品を考えたんだ。これまでいろんな人に演奏してもらったよ。でも僕のプロジェクトは科学的な分析をするためのものじゃない。ミュージシャンに『植物はどんな音楽が好き?』って聞かれたときは、『君が、植物が喜ぶと思うものを演奏して』って頼んでいる」

Untitled (Greenhouse) © Peter Coffin, 2011.
Live performance by Ai, 5/8/2011

──
このプロジェクトを始めて9年になりますが、何か発見したことはありますか。
「植物に関することはわからないけれど、"植物が好きそうな音楽を"と頼んだときにミュージシャンがどう反応するかはわかった(笑)。メロディアスでリラックスできるような音楽を演奏する人が多いね。水音を使う人もよくいるし、グレゴリオ聖歌みたいにリズムがなくて、ずっと続いていくような音楽というのも多い。でも科学的な調査をしているわけじゃないから、実際に植物がどれを気に入っているのかはわからない。演奏してもらうミュージシャンは全員が知り合いというわけではないし、ミュージシャンの友達がまた別の友達を紹介してくれて、というパターンもよくある。今回、横浜でも演奏してもらうジム・オルークは2002年にニューヨークでも演奏してもらったんだ。彼に紹介してもらったミュージシャンもたくさんいるよ。ほとんどは即興で演奏している。このプロジェクトでは音楽と植物との関係より、人間と植物との関係のほうが重要なんだ。ただし普通のコンサートでもない。ミュージシャンはどんな曲を演奏するかを考え、観客はいったい何がおこっているのか、なぜそんなことをしているのかを考え始める。僕はあえてコンセプトや作品の中身をクリアにしない、という戦略をとっている。この作品はそうやって人々が何かを考えるための装置なんだ」

 

──
この温室の作品以外に、森の木にパンツをはかせるという、ちょっと笑える写真作品もありますね。植物はあなたにとって特別なモチーフなのですか。
「そうだね。植物は自分では動かないから一見、生命のないオブジェみたいに見えるけれど、実は生きているわけだし、僕たちの文化や生活にさまざまな側面から影響を与えている。とくにアートの文脈から見るとおもしろい。生きている植物を素材にしたアートってあんまりないけど、僕はあえてそれを使うことで、アートの文脈を少しだけ変えられたらいいな、と思っている。最近、コケを使ってちょっとした実験をしてみた。バターやミルクを混ぜたものにコケをいれてブレンダーでどろどろにして、それを何かの表面に塗るとまたコケが育つんだよ。冗談でやってみたんだけど、おもしろいよね。僕の作品はこんなふうに、ちょっとした遊び心から始まってるものが多いんだ」

photo by KATO Ken
Courtesy of Organizing Committee of Yokohama Triennale

──
この作品が展示されているYCC(ヨコハマ創造都市センター)には、外の半円形のバルコニーに旗の形の作品も展示されていますね。
「この美しいクラシックな建物にふさわしい作品を、と思ったんだ。手は鏡がなくても見られるほとんど唯一の体のパーツだし、もう一つの顔のようなものだと思う。また、手はいろんなメッセージを表すことができる。たとえば、"こんにちは"という時も"さようなら"という時も手を使う、というように。作品を作っていると、手が自分のエゴを超えてものを作り出しているような気になることがある。無意識のうちに作業に没頭していて、できあがってから『え、こんなのできちゃったよ』ってびっくりすることもある。手にはそういうパワーがあるんだ。心理学者のカール・ユングは寝る前と目覚めたときに手を見て、見た夢を記録するよう勧めていた。肩とかひじとか脚とかじゃなくて手を見る、ということから、ユングも手を特別なものだと考えていたことがわかる。この旗にあしらわれている手は、手のひらを開いた形になっていて、『ノー』と拒絶するのではなく、オープンに、来た人を笑顔で迎えるフレンドリーな手のイメージなんだ」