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DENNIS MORRIS

写真家デニス・モリスが切り取ったパンクミュージックの始まりと終わり

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photo:Kentaro Matsumoto text:Takeshi Kudo (Rocket Company*/RCKT)

14歳にしてボブ・マーリーに才能を認められた写真家デニス・モリス。2年振りとなる東京での写真展を機に、改めて彼のキャリアを振り返ってもらった。ファインダーごしに見つめ続けた"パンク"の始まりと終わり、伝説とも言われるフォトグラファーが抱く写真への思いとは。

Dennis Morris

写真家。11歳で英デイリー・ミラー紙の表紙を飾り、14歳でボブ・マーリーにその才能を認められツアーに同行、本格的に写真家としての活動をスタート。17歳になる頃には音楽誌のカバーを総なめにし、Sex Pistols、PIL(Public Image Ltd.)はもちろん、Patti Smith、Oasis、Radioheadなど数多くのミュージシャン撮影や、『Rolling Stones』『Time』『People』他の雑誌や広告等で活躍している。
http://www.dennismorris.com/

 

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まずはデニスさんが写真家としてのキャリアをスタートするきっかけになった、ボブ・マーリーとの出会いについて教えてください。
「私が写真家になりたいと思い始めたのは10代の頃。近所の景色、友達、どこへ行くにもカメラを首にぶら下げて、あらゆるものを撮っていたね。当時、私が住んでいたロンドンのウェスタン地域ではボブ・マーリーが大人気だったんだ。誰もが彼の話をしていたし、彼の音楽を聞いていた。私もレゲエのレコードをかけては毎晩のように騒いでいたね。そんなとき、ボブが初めてイングランドにツアーにやってくるというニュースが舞い込んできた。とても興奮したよ。ライブ当日、私は学校にも行かず、クラブの前で彼がやって来るのを待ちかまえていたんだ。そしたら本当にウェイラーズのメンバーがやってきて、『写真をとってもいいか?』と聞いたら、彼らは快く中に入れてくれた。それが、私とボブ・マーリーとの出会いだね。ボブは私のことをとても気に入ってくれて、それから彼のツアーに同行するようになり、写真を撮りまくった。本格的にプロの写真家としての道を歩み始めるきっかけだった」

©Dennis Morris|www.dennismorris.com

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その後、世界的なパンク・ムーヴメントを生んだセックス・ピストルズの写真を撮るようになったのは有名な話ですね。
「ピストルズのメンバーとは、もともとロンドンの同じ地域で育った。特に仲がよいわけではなかったけれど、学生の頃から同じような場所で遊んでいたし、お互いに同じ匂いを感じていたはずだよ。そう考えると、彼らとの出会いも必然的だったように思う。私と同じで、“人とは何か違うことをしたい”と思っていた奴ばかりが集まったバンドだったからね。ピストルズというアイデアを思いついたのは、ギターのスティーヴ・ジョーンズとドラムのポール・クックだったけれど、ピストルズというバンドを作り上げたのは間違いなくマルコム・マクラーレンだ。スティーブとポールはマルコムの店(『SEX』)でよく遊んでいて、あるとき2人は自分たちのバンドのヴォーカルを探していた。そのとき4人の"ジョン"が候補に上がっていて、そこにはジョン・ライドンもジョン・サイモン・リッチー(シド・ヴィシャス)も含まれていた。誰かがシドのことを指して『ピストルズのヴォーカルにはジョンがいいんじゃないか』と言ったんだけど、それを聞いたマルコムは勘違いをしてジョン・ライドンに声を掛けた。結局そのままジョン・ライドンがヴォーカルになったんだけど、今思えばピストルズも不思議な運命が重なって生まれたバンドだったよね」

 

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ピストルズ脱退後のジョンがPublic Image Ltd.(以下PIL)というバンドを結成した当時、彼の身には何が起こっていたのでしょうか。
「ジョンがバンドを脱退した当時、もともとピストルズが所属していたヴァージンレコードは、レゲエというジャンルに本格的に乗り出そうとしていた。創始者であるリチャード・ブランソン自らジャマイカに乗り込んで、多くのレゲエミュージシャンと契約を交わそうと計画していたんだ。そこに私も一緒に同行して、レゲエミュージシャンたちの写真を撮ることになっていた。そのとき、退屈そうにしていたジョン・ライドンを見て、私はリチャードに『ジョンも連れて行かないか』って提案したんだよ。彼は大のレゲエファンだったし、ヴァージンがジョンとの関係をまだ続けいきたいと思っていたことも知っていたからね。こうして私たちは3人でジャマイカへ飛んだ。ジャマイカではダブの名プロデューサーであるリー・スクラッチ・ペリーのスタジオに行ったり、数々のレゲエミュージックを生み出したビッグ・ユース やU-Royなんかと一緒に爆音のレゲエミュージックを聞いたりしたね。ジャマイカの地でレゲエをたっぷり体感したこの経験から、ジョンの頭にPILという新しいバンドの構想が生まれたんだと思う」
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今回の展覧会のテーマがそのPILですが、何故今このテーマを選んだのかを教えてください。
「何故って、今が一番正しい時期だと思ったからだよ。セックス・ピストルズが活躍していたあの頃、音楽業界は大きな転換期を迎えていた。それまではハードロックやプログレッシヴロックなど、規模の大きな活動をしているロックバンドが主流だったんだ。そんなときに突然、それまでになかった表現をするバンドが現れた。パンクがそれまでのロックシーンをすべて打ち破ったんだ。そして、さらにパンクが世界を席巻し始めると、今度はPILとしてジョンは自らが作ったシーンをぶち壊した。昨今の音楽業界を見渡すと、当時と似た空気が漂っている気がするんだ。同じような音があふれていて、革命的な新しさを感じさせるものがない」

©Dennis Morris|www.dennismorris.com