15 1/16 UPDATE
2013年にケン・ローチがレフト・ユニティーなる政党を立ち上げたことを知ったのは、ele-kingサイトのブレイディみかこ氏の連載「アナキズム・イン・ザ・UK」においてだった。このたび出版された彼女の新刊『ザ・レフト──UK左翼セレブ列伝』(Pヴァイン)でも、ケン・ローチは左翼セレブのいっとう最初に挙げられている。
その中から、レフト・ユニティーに関するローチの発言を孫引きしてみよう。
「現在の保守党政権が著しく右傾化しているのは、UKIP(英国独立党。排外主義の右翼政党)の存在があるからだ。UKIPが支持者層を広げているために、保守党はより右翼的な路線を採らずにはいられなくなった。なぜなら、生ぬるいことを言っていたら支持者をUKIPに奪われるからだ。英国の左翼の悲劇は、労働党にとってのUKIPのような政党が存在しないことだ。レフト・ユニティーは、左翼のUKIPになる」
世界不況が前景化している現在、右傾化は少なくない「先進国」が患っている病である。
不況は、教育や文化資本も直撃する。中流インテリ層が「他国とも仲良くしよう」と呼びかけたとて、持たざる者たちにとっては、そうした物言いすらしゃらくさいものに聞こえるのかもしれない。人間、追いつめられれば追い詰められるほど過激な言葉に飛びつきたくなるし、歴史を振り返ったり、立ち止まって考えたりする時間を持つことが難しくなる。
イギリスでは2011年にロンドン暴動が勃発した。ニュースを覚えている方も多いだろう。無軌道な若者たちの破壊的行為は、傍目には「単なる犯罪」に映ったかもしれない。が、ここでやはりケン・ローチの言葉を引きたい。2011年にBBCニュースチャンネル「ハード・トーク」というインタビュー番組で、政権サイドが暴動を「単なるアンダークラスによる犯罪」と位置づけたことに対する、ローチの回答だ。
インタビュアーの女性とのやりとりも含めて、再び『ザ・レフト』から引用してみる。
「アンダークラスという表現はテリブルだ。そうではない。彼らはワーキング・クラスだ。仕事が無いワーキング・クラスの若者たちなのだ。犯罪という言葉も定義が分かれるところだが、あなたが言う犯罪というのは、法的な意味ですか? それとももっと広い意味での犯罪なのだろうか」
「広い意味での犯罪です。政府はあの暴動は純粋なる犯罪行為だったと言っています」
インタビュアーの女性アナウンサーをやぶ睨みにしてローチはこう言い放った。
「犯罪とは、若者たちを貧困や疎外された状況に追い込む政治を支持することだ」
この、"まっとうさ"。これこそがケン・ローチの映画に一貫している感覚である。
そして、当然のごとく「社会派」とも呼ばれるローチ作品だが、けっしてお勉強映画にはならず、活劇のキレ味、怒りや歓びのエモーショナルさ、風や自然や音楽の官能など、娯楽映画としても高いレベルをキープし続けているところに、凄みがある。
『ジミー、野を駆ける伝説』の時代背景は、カンヌ国際映画祭でパルムドールを獲得した2006年の『麦の穂をゆらす風』と同じくアイルランドの近代史である。
『麦の穂をゆらす風』では、1920年代初頭のイギリスからの独立運動、英愛条約調印、さらには条約をめぐる内戦を、ある兄弟の悲劇にフォーカスして描いたが、本作の舞台はそれから約10年後となる。1932年、かつて土地の借用権をめぐる闘争に関わり、謂われなき罪でニューヨークにわたる羽目となった元活動家のジミー・グラルトン(バリー・ウォード)が、10年ぶりに祖国に帰ってくるシーンから始まる。
10年前にジミーが建て、現在は閉鎖されてしまった「ホール(集会場)」は、いまや伝説として、未来の見えない若者たちの憧れとなっている。そこでは老若男女が音楽や芸術やスポーツを学び、ダンスに興じ、人生や政治に関わる自由闊達な議論を行うのだ。
久方ぶりに踏んだ祖国の地で静かに暮らそうと思っていたジミーだが、若者たちの声に押されて、「ホール」再建を決意する。そして、再び「ホール」は地域住民たちの交流の場として機能するようになるが、それを快く思わない教会や、地主、警察権力といった保守勢力との軋轢も生じていく----。
まさにローチ作品のヒーローそのものであるジミーの、痛快なまでの"まっとうさ"に惚れ惚れする。と同時に、本作にはここ最近のローチの作風の変化も反映しているように思われる。
『麦の穂をゆらす風』には終始、不穏な空気が漂っていたが、本作は厳しい現実の中にも、常に心地よい風が吹き抜けているのだ。ジミーを演じるバリー・ウォードのキャラクターに負うところも大きいだろう。
また、ラストで主人公に厳しい現実を突きつけ、スパッと幕を下ろすことの多かったローチだが、近年の作品では、終わりかけにうっすらと希望の曙光を覗かせることも増えている。本作もまた、ハッピーエンドではないが、どこか明るい光の差すラストとなっている。
ただ、それはむしろ、社会がいよいよシャレにならないほど(かつてのフィクショナルな想像力を越えるレベルで)過酷な状況となっている、というローチの現状認識からきているのかもしれない。この徹底した"まっとうさ"の先に希望が見えないのだとしたら、それほど絶望的なこともないからだ。
むろん、ここ日本も無縁ではない。
text: Joe Kowloon
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァティ
キャスト:ジム・ノートン、アンドリュー・スコット、フランシス・マギー
製作:レベッカ・オブライエン
配給:ロングライド
© Sixteen Jimmy Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Element Pictures,
France 2 Cinéma,Channel Four Television Corporation,
the British Film Institute and Bord Scannán na hÉireann/the
Irish Film Board 2014
1月17日(土)より新宿ピカデリー&ヒューマントラストシネマ有楽町他全国公開