12 6/25 UPDATE
とにかくもう、どうしようもなく変態なのである。そもそも理屈が通っていない。何故「それ」が「そっち」に転化するのだ、できるのだ???
まあ、この映画の監督・脚本は、あのペドロ・アルモドバルなのであるから当然といえば当然。近年の彼はどうも「母もの」の名匠として認識されてるっぽいのだが、誰がなんといってもその本領は、こうした「変態映画」にこそあるだろう。もっぱら僕の彼に対する興味はそちらのほうにだけ向いているのだけれど、本作の主演はそうした変態路線の代表作『アタメ』('89)以来久々に彼の映画に回帰してきたアントニオ・バンデラス。まさに期待通りの、いやそれを上回る変態悪趣味映画なのである。
トレドの郊外に建つ大邸宅。有名な形成外科医で人口皮膚の権威でもあるロベル(バンデラス)は、この二階にある広大な一室にベラ(フレンチ・アクションの佳作『この愛のために撃て』のエレナ・アナヤ)というひとりの美女を幽閉している。全身に肌色のボディスーツをまとった彼女を階下のモニタで監視するのは老家政婦のマリリア(アルモドバル常連のマリサ・パレデス)。そしてロベルはといえば、ベラの隣室の壁一面に巨大モニタを構え、彼女の肢体をズームアップしては愛でるように見つめるのだった(その周りには泰西名画ふうの絵画の横にキリコのバッタもんふうな悪趣味な画が飾られていたりして、これも強烈にアルモドバル的)。
そんなある日、ロベルの留守中に虎のカーニバル衣装に身を包んだ粗暴な男がマリリアを訪ねてくる。彼女の息子セカだ。実はロベルとも浅からぬ縁を持つセカだが、モニタの中のベラに目をとめるなり、母を椅子に縛り付け、劣情もあらわに二階へと駆けあがっていく。ベラと過去に何かあったのか? そもそもベラとは何者なのか?
さあて困った。これは紹介コラムではあるけれど、いくばくかの批評的視点も示したいと僕は考えているのだが......これ以上は何も書けない(笑)。この物語には、ここに示した四人以外に三人の重要な登場人物がいる。ま、ロベルを軸とした関係性や、彼ら彼女らに起こった出来事はまあ、ありがちなメロドラマ的サスペンスだ。しかしロベルが"ある人物"に施術する"ある行為"以降の感情の変遷はどうにも理解を絶する。そのあまりにもパッショネイトな展開から、「愛」がすべての情動の根源であると監督は本心から訴えているようなのではあるけれど、それがこちらに通じることはない。狂っている、恐ろしいほどに狂っている、と物語が進行するにつれ、凡人で哀しいほどヘテロな僕などはただ溜息つくしかないのだ。
映画好きならここにジョルジュ・フランジュの形成外科怪奇映画『顔のない眼』('59)やヒッチコックの『めまい』('58)の直接的影響を強く感じることだろう。どちらもフランスのミステリ作家コンビ、ボワロー&ナルスジャックの原作だが、実はこの狂った映画にも狂った原作がある。数年前、数寄者たちの間で話題になった「蜘蛛の微笑」(この映画の公開に際し「私が、生きる肌」と改題されてハヤカワ文庫の棚に並んでいるはず)がそれだが、作者のティエリー・ジョンケもまたフランス人。この映画のニュ-ロティックな雰囲気はそんな伝統の上に立ってもいるのだ。ま、そのどれよりも変態で不可解だけどね。
text: Milkman Saito
私が、生きる肌
監督・脚本:ペドロ・アルモドバル
出演:アントニオ・バンデラス、エレナ・アナヤ、マリサ・パレデス
原題:THE SKIN I LIVE IN
上映時間:120分
配給:ブロードメディア・スタジオ
TOHOシネマズシャンテ、シネマライズ他全国公開中
http://theskinilivein-movie.jp/
Photo by José Haro Ó El Deseo