10 10/12 UPDATE
面白い。いやあ無性に面白い。面白い映画をリメイクするとオリジナルよりなぜか面白くなくなるのが常だが、この場合むしろ面白さが倍加していると断言してもいい。まあ個人的趣味からして、三池崇史の作品が面白くなかったことなどまず皆無なのではあるけれど、それにしてもよくここまで面白く仕上がったものである。
しかも、そのオリジナルというのが、東映時代劇黄金期の終焉に現れて、その後ますます評価を高くしカルト化するに至った"集団抗争時代劇"の一本、工藤栄一監督1963年の傑作である。原作、というかオリジナル版の脚本は池上金男、すなわち、のちに時代小説の大家となった池宮彰一郎。今回のリメイクでは、話の骨格はかなり忠実に踏襲しつつ、実はオリジナルを観た人誰もが不満に感じていたであろう「十三人」のキャラクターが十二分に活かされていないこと(せいぜい5人ほどしか目立った働きをしない)、終盤の大殺陣がいまひとつ盛り上がりを欠くこと(チャンバラが少ないのだ)等の欠点がかなり解消されている。ま、ほとんど蛇足といえるような三池流エログロ風味まで加味されているのはご愛嬌だけどね(もちろん僕は大歓迎!)。
時は江戸時代、幕末を迎える少し前。いきなり「広島・長崎の百年前」と出るので面食らうが、いっけん唐突なこの言葉の理由はラストに近づくにつれ浮き上がってくる。
将軍の弟君で明石藩藩主・松平斉韶(稲垣吾郎)が次の老中に内定した。しかしこの斉韶、どうしようもない暴君で、罪もない民衆を理由もなく殺戮する残虐な性質。おりしも参勤交代の途上の宿場で、宿の若妻を手籠にしたうえ、その夫を斬殺したのみならず、一族郎党幼い子供に至るまで惨殺、さすがに見かねた明石藩家臣が、現老中土井大炊守(平幹二郎)の屋敷の門前で抗議の割腹をして果てるに至った。
この事件は時の幕閣を動揺させる。すでに将軍の御命が下った以上、斉韶の老中就任を取り消すことは難しいが、そうなると幕府の屋台骨が危うくなりかねない。そこで大炊守は、部下の御目付役・島田新左衛門(役所広司)に斉韶暗殺の密命を下すのだ。さらに一揆を起こした罪で斉韶に一家をみなごろしにされたうえ、舌を抜かれ四肢を切断され性の慰みものにされ、そして路端に捨てられたという娘と引き合わされた新左衛門は「太平の世にあって、武士としての死に場所を見つけたり」と武者震いとともにこれを受諾する。
新左衛門は大事にあたり、内密に協力者を集める。かねてからの知友・倉氷左平太(松方弘樹)を参謀格に、三橋軍次郎(沢村一樹)を軍師に。さらに剣の達人・平山九十郎(井原剛志)、槍の達人(古田新太)といった浪人たちや、新左衛門の甥で世をすねて生きていた島田新六郎(山田孝之)、加えてそれぞれの配下から腕に覚えのあるサムライが集まり総勢十二人。これに、ほとんど不死身の山の民・木賀小弥太(伊勢谷友介)が計画の途中で加わって十三人。突如参勤交代の途についた明石藩の行列を奇襲することと相成った。その奇襲の策というのは、街道の宿場町をまるごと買い取ってさまざまな罠を仕掛けた要塞へと改造、そこに斉韶一行を囲い込んでみなごろしにしようというものだ。
こういう映画、敵が面白くないとつまらないもの。ま、諸悪の根源たる斉韶自身が狂気を孕んだ相当アクの強いキャラではあるけれど、明石藩の側用人で、新左衛門とは旧知の仲の鬼頭半兵衛(市村正親)が、これまた知略ともに優れた好敵手。殿のご乱交を苦々しくは思いながらも、これにどこまでも仕えるのが武士の本分と考えるタイプ。つまり、たとえ天下万民のためであろうが、オカミへのテロリズムを計るような新左衛門とは相容れぬところがあるのである。果たして半兵衛は暗殺計画を事前にキャッチし、つぎつぎと裏をかいていく。そして道道で兵を集め、新左衛門たちが待ち伏せる落合宿に到着した時点で、その数300人。13対300,死闘となるはもはや必至。この決着はいかに?
......ということで、全篇140分中、終盤50分はこの大攻防戦。そのディテイルの掘り下げようはオリジナルの比ではない......って、それはそれで相当に元ネタも凄いワケで、いってみれば叩き台が上質だったってことになろうか。三池監督、そして天願大介脚本(これって今村昌平の弟子&実の息子の関係なのだが)もそこんとこは仁義をわきまえたというか、オリジナルにあったいくつかの決定的場面......たとえば九十郎や斉韶の死のシーン、そして観た者誰もを寒からしめるラストショットをなぞるようなことはせず、潔くも徹底的に改変してみせる。ほとんど原作に忠実だった前半と異なり、クライマックスの攻防戦はまったく別物というに近い様相を呈するのだが、これがまたキャラそれぞれの見せ場を用意していて素晴らしいのだ。
ところで、どうにも引っかかるのが先にも書いた冒頭の字幕である。要約すれば、新左衛門vs半兵衛という、いわば「武士の本分」のふたつの局面どうしが抗争するという構図なわけだが、この映画がユニークなのはそこから確実に逸脱した存在があるからだ。
そう、斉韶。オリジナルで菅貫太郎が演じたバカ殿ぶりも映画史に残る狂気の沙汰であったが、本作で吾郎ちゃん演ずる殿はもっと突き抜けている。三池&天願がこのリメイクを手掛けたのは斉韶あってこそ、というのは間違いない。ほとんど人間としての肝心な部分が欠落した絶対的君主(実際、蝋燭の炎も彼の前では動かない)、騒乱や惨劇、血みどろの地獄絵図を怖れるどころか嬉々として楽しんでしまう超個人主義的にして世界壊滅も厭わない......ま、信長などにもそういうところはあっただろうが、いわば澁澤龍彦的で(笑)ニヒリスティックなヨーロッパ的狂王として作り替えられているのだ。
万民のためであろうが主君のためであろうが、つまり武士道とは暴力である。だがしかし、そこに義があろうがなかろうが、斉韶のような絶対的個人主義者の前でその暴力は通用しないのだ。もちろん、本作はそれ相応のモラリスティックな結末を見せはする。だがそれは武士道の敗北を現し、同時により近代的な暴力の萌芽を示し、そこから生き残った者は、ぐっと原始的なエロスへの回帰と耽溺を示して映画は終わる。
面白い。実に面白い。この映画がジェレミー・トーマスという変態イギリス人(『戦場のメリー・クリスマス』『ラスト・エンペラー』『シェルタリングスカイ』『ドリーマーズ』etc...)によってプロデュースされているのもまったくもって理に叶ったことなのだ。
text:Milkman Saito
「十三人の刺客」
原作:池宮彰一郎
監督:三池崇史
脚本:天願大介
音楽:遠藤浩二
衣装:澤田石和寛
出演:役所広司、山田孝之、伊勢谷友介、沢村一樹、古田新太、高岡蒼甫、六角精児、波岡一喜、近藤公園、石垣祐磨、窪田正孝、伊原剛志、松方弘樹、松本幸四郎、稲垣吾郎、市村正親
製作国:2010年日本
上映時間:141分
配給:東宝
全国東宝系にて絶賛公開中
©2010「十三人の刺客」製作委員会