09 4/22 UPDATE
今年のアカデミー賞授賞式でひときわ目立っていたのがアン・ハサウェイ。冒頭のプチ・ミュージカルでMCのヒュー・ジャックマンにとつぜん客席から舞台に呼ばれ(って、もちろん仕組まれてたんだけど)見事に歌い踊ったり、主演女優賞の候補者紹介ではシャーリー・マクレーンから「若い女優の素晴らしい手本です」「人間の光と影を恐れずに表現できるからです」などと面と向かって讃えられ思わず目をウルウルさせたり(そら泣くわな。大コメディエンヌから直々の賛辞だぜ)、その才気と美しさで場をさらっていた。
で、その対象作品となったのが本作。デビュー作『プリティ・プリンセス』のお姫さま役とか、『プラダを着た悪魔』の新米ファッション誌編集者とか、今までどちらかというと明るく快活なアメリカン・ガール的イメージがあったものの、『ブロークバック・マウンテン』あたりから演技の幅を拡げた感じ。さらに本作では、過去に犯した「取り返しのつかない過ち」から逃れられぬ女性の、もがきあがく姿をヴィヴィッドに表現してみせるのだ。
この映画、タイトルこそ"レイチェルの結婚"だが、アン・ハサウェイ演じるレイチェルの妹キムがいわば主人公(といって彼女を中心として観なくても、ユニークなドラマが各キャラクターに潜んでいるのが面白い)。ところがこのキム、冒頭から道端でくわえタバコふかしながら貧乏ゆすりしたりして、なんだか知らないがとにかくイラついている。男友達からは「最近,誰か車で殺した?」なんてちょっかいかけられ本気で怒ったりするけれど(これは単なる冗談ではないのがやがて判る)、正直言ってそのイライラは周囲を不快にさせる類いのものだ。いや、周囲だけでなく、この映画を観る観客まで間違いなく不快にさせるだろう。
どうやらこのキム、麻薬中毒の治療施設から退院したばかりらしい。家族とも疎遠になっているが、姉のレイチェルの結婚式に出席するため、ひさびさに実家に戻ってきたのだ。しかしキムはずっと居心地が悪そうで落ち着かず、言わなくてもいいことばかり不用意に吐く始末。家族も(とくに父親)彼女に対して腫れ物を触るような、妙な緊張状態がずーっと続いていく。
ただしこの家族、見た目にはとってもオープンなのだ。レイチェルの夫となる男はハワイに住むアフリカン・アメリカンのミュージシャン。彼の親族はもちろん黒人だし、その友人たちも東洋系(おそらくゲイ)、ラテン系とまるでアメリカの縮図のよう。だが彼らはまったく対立や牽制の気配もなく、まったくナチュラルな様子で同じ場にいる。この設定、脚本のジェニー・ルメットにアフリカの血が入っているのも大きく関係しているかもしれない(彼女は名匠シドニー・ルメットの娘である。と同時に大歌手リナ・ホーンの孫であるとか)。
それはともあれ、ただひとりキムだけが、この和やかな場から浮きまくっているのだ。言い換えれば、彼女こそが和やかな空気を乱す原因であって、その理由を出席者たちはよーく知っているらしい。キム自身もその場にいることを持て余し、家族の対応に過敏に反応して、結婚パーティーの予行練習の席でも暴言を吐き、それで無視されると怒りかえす、といった困った態度を取る。観客も最初はそんなキムに感情移入も共感もできないけれど、「取り返しのつかない過ち」が彼女自身のみならず親族知人に陰を落としていることが判明してくるにつれ、各人があやうい均衡を保つためにいかに繊細な気遣いをしているか、またキムの心の傷がいかに大きいか孤独がいかに深いかがじりじりと、観客の胸まで引き裂くように伝わってくる。
実に巧い脚本だ。しかしオーソドックスに撮ると、いかにもという感じの家庭劇になってしまったかも。ハリウッド的にはそのほうがむしろ有り難かろうと思うが、そうした作り物っぽさ、予定調和を避けるために監督ジョナサン・デミは手持ちキャメラを使い、あえて即興的とも思えるいわばホームムーヴィのタッチで撮りあげた(撮影は名手デクラン・クイン)。はっきりいってパーティの予行練習シーンなどうんざりするほどダラダラと長いが、その長さがあってこそキムの孤独が観客の心にじわじわ沁みてくる(ほとんどジョン・カサヴェテス映画的ともいえる。デミはエンド・クレジットで『ウェディング』の作者ロバート・アルトマンに謝辞を捧げていて、それは群像劇の方法論を援用しているからよく判るが、脚本はミーラー・ナーイルの『モンスーン・ウェディング』を本歌取っているふしもある)。即興的とはいえ、パーティの喧噪の中でキムの孤独に常に焦点を当てつづけたり、キイとなる飼い犬の存在を印象づけたりと、相当計算されているふうなのがまた心憎い。
音楽にしてもそうだ。ライヴ・パーティ同然の結婚式(ロビン・ヒッチコックやファブ・5・フレディの顔も見える)はもちろん、ドラマ部分でも終始流れつづけているに近いが、いわゆる劇伴にあたる部分も式に呼ばれたミュージシャン(これもウード、ヴァイオリン、ギターという東西混成)が実際に演奏しているものしか決して流れない。
ジョナサン・デミというと日本ではどうしても『羊たちの沈黙』('90)や『フィラデルフィア』('93)ということになってしまうが、実は劇映画と同じくらいドキュメンタリを撮ってもいる。また『シャレード』('02)ではヌーヴェル・ヴァーグ的(というかシネマ・ヴェリテ的)な撮り方や東西混淆のキャスティングを試みてもいて、これはそうした実験的・挑戦的な映画づくりにおける、ひとつの着地点ともいえる作品なのだ。ジョナサン・デミ、やはり今のアメリカ映画界で信頼するに足る。また特記すべき作家のひとりである。
Text:Milkman Saito
『レイチェルの結婚』
監督:ジョナサン・デミ
脚本:ジェニー・ルメット
出演:アン・ハサウェイ、ローズマリー・デヴィット、デブラ・ウィンガー、ビル・アーウィン、アンナ・ディーバー・スミス、トゥンデ・アデビンベ、マーサー・ジッケル、アニサ・ジョージほか
原題:Rachel Getting Married
製作国:2008年アメリカ映画
上映時間:1時間52分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
4月18日(土)より、Bunkamuraル・シネマ他全国順次公開