honeyee.com|Web Magazine「ハニカム」

Mail News

木曜日を左に曲がる

木曜日を左に曲がる

ザッツ片岡義男エクスペリエンスな、短編小説集

11 9/05 UPDATE

昨年の夏リリースの『階段を駆け上がる』からほぼ一年ぶりに発表された短篇小説集。すべて書き下ろしの7篇を収録。現在あきらかに、片岡義男の「小説を書く」ギアが、かなりトップに近い位置にまでシフトアップされている、と、本書の充実ぶりを体験しながら僕は感じた。本作の全7篇に共通することは、すべて女性が主人公だということ。そして、(誤解をされることを承知でいうと)あまりドラマチックではない、淡々とした日常のひとこまがスライスされてそこにある──かのように一見みえる──ということ。しかしながら、そこからエクスペリメンタルとしか言いようがない、まるで夜道で突然後頭部をぶん殴られたような、無類の読書体験が得られるのが、近年の片岡義男小説の醍醐味であり、さらに言うと、本作の「エクスペリメンタル度」は、前作よりずっとアップしている。ギアが上がっている!

日本語を書くことによる表現について、その根源的な性能と性質のありかたについて、びっくりしてしまうぐらい深く、しかも長期間にわたって考察しつづけている作家が、僕にとっての片岡義男だ。ゆえに、彼が書くものの大半は、一見そうは見えなくとも、本質的な意味で「実験的」だと言える。英語という言語を合わせ鏡として、考えられるかぎりの先入観を捨てて、日本語を見直していく、というその姿勢の徹底ぶりは──これは大袈裟ではなく──「ここまでやった」人は、夏目漱石以来ではないか、とすら思う。であるから、片岡義男が日本語で書いたものは、日本語がわかる人なら読むことはできるのだが、「日常的な日本語に慣れた人であればあるほど」その筆致(書きかた)から、ショックを受けて然るべきものであるはずだ。平易につるつると書かれたようですらある彼の文章のそこここから「日本語とは、こういうふうにも使えるんだ!」と驚愕させられた人は、決してすくなくはないはずだ。

片岡義男体験を、記憶のなかに持つ人は多い。青春の一時期に、熱病におかされたように読んだ、と述懐する人も多い。しかし僕は不思議でしょうがない。「なぜ」その人たちは、「その体験」が、過去完了型のものとなっているのか。もう「体験」したくはないのだろうか? あるいは、「その体験」がなんだったのか、自覚することができないまま、平坦にして猥雑なる日常的な日本語世界へと埋没する人生を、いつの間にか選択してしまったのだろうか?

学校をドロップアウトした少年がオートバイで疾走するから、ではない。サーフィンの醍醐味を描いたから、ではない。アメリカン・ダイナーの魅力を教えてくれたからでもなければ、「翻訳調」で男女が会話をするところがかっこよかった、からではない──それらの題材をあつかったから、彼の小説やエッセイが、80年代初頭の全日本を爆発的に席巻した、わけではない。片岡義男が、「彼にしかできない方法で」日本語を駆使したからこそ、あなたは熱病に罹患してしまったのだ。そしてその実験と実践は、現在も進行中なのだ。

ここのところの片岡作品では、「商店街」がよく登場する。作中人物たちは、電車でよく移動する。もともと彼の作品には、二つの月も喋る犬も出てはこない。現実社会に普通に存在するものばかりが、そこにはあらわれてくる。その「普通度」は、より強化される傾向にある、のかもしれない。しかし──いや、だからこそ──本作収録の「鯛焼きの孤独」。この短篇の破壊力を、ぜひ味わっていただきたい。なにげないセンテンスが、句点をひとつ、ひょいと飛び越えた瞬間に巻き起こるこのマジック! 読みながら僕は「おぉ」あるいは「うわあ」と声を上げ、そして読了した瞬間「すげえ!」と思わず口にしていた。

「給料日」「瞬間最大風速」「パッシング・スルー」「モンスター・ライド」──こうしたタイトルを目にして、胸がざわついた人は、ぜひこの「鯛焼き~」を試していただきたい。個人的には、それらにくわえて「スローなブギにしてくれ」「ハートブレイクなんてへっちゃら」「青春の荒野ってやつ」──などとも匹敵するほどの、生涯体験と呼べるほどのものを、この一篇から得ることができた。次点は、「髪はいつもうしろに束ねる」だろうか。「追憶の紙焼き」だろうか。

「なんということはない」日常とは、どこをどう切り取っても、どれひとつとして二度とは訪れることはない、奇跡のような「事実の重なり合い」によってのみ生まれ得るものなのだ、ということを、日本語を駆使した創作によって描き出す──こうした手法によって生み出される小説を書くことにかけて、つねに片岡義男は、誰にも似ることはない、きわめてユニークな立ち位置から、快刀乱麻とも呼べそうな切れ味を発揮しつづけてきた。そのうちの37年間ほどを、僕はいち読者として過ごしているのだが、その経験から鑑みても、いまの片岡義男は「やばい」としか言いようがない。原発が爆発しようが、狂ったように夏が暑かろうが、「ロンサム・カウボーイ」は、たった一人で全世界を相手にして、いまなおこの東京の地に立っている。これを同時代的に体験しないなんて、あまりに勿体なさすぎると言うものだろう。おなじみ、著者自ら「創作の秘密」を惜しげもなく明かす、巻末のあとがきも、これまたすごい。

text:Daisuke Kawasaki(Beikoku-Ongaku)

「木曜日を左に曲がる」
片岡義男著
(左右社)
2,310円[税込]