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「墜ちるイカロス―失われた展覧会」 ライアン・ガンダー展

「墜ちるイカロス―失われた展覧会」 ライアン・ガンダー展

「失われた展覧会」を求めて。
ライアン・ガンダーが問う、アートの定義。

11 11/14 UPDATE

ときにそっけなくも見えるオブジェに二重、三重の意味を仕掛けるライアン・ガンダー。1976年生まれ、ロンドンを拠点にするアーティストだ。今開かれている個展は、会場のメゾンエルメス8階フォーラムの十周年記念の意味あいもある。が、そこはガンダー、素直におめでとう、と言ってすますわけがない。お祝いのメッセージとなるはずの個展には彼らしい、ねじれたユーモアがこめられている。

「展覧会とは何か?」「アートとは何か?」がこの個展のもう一つのテーマ。会場はこれが個展? と感じるほどまとまりのないオブジェで埋め尽くされている。その一つ一つに美術史やアートの定義を二度、三度とひっくり返す巧妙な物語が隠されているのだ。

たとえば透明なアクリル板でできた巨大な「H」は、ベルギーの漫画家、エルジェによる「タンタン」シリーズ最後の、そして未完の作品「Alph - Art」からインスピレーションを得たもの。「Alph - Art」とはアルファベットの文字をモチーフにしたというアートの一ジャンルだが、実際にはそんなジャンルはなく、エルジェが作り出した架空のものだ。ガンダーの「H」はこの「Alph - Art」の一つという位置づけになる。漫画「Alph - Art」には「Alph - Artを知らないの?」「やっぱり"A"が最高だ」といった会話が登場する。アート関係者のスノッブな会話はガンダーの個展会場でも聞こえてきそうで、思わず苦笑してしまう。

壁にかけられた小さなモニターでは「そしてあなたは変わるだろう」という映像作品が流れる。からっぽのメゾンエルメスのギャラリーをキュレーターが案内している映像だ。彼女はここで開かれたサラ・ジーのインスタレーションについて、記憶を頼りに説明しているのだが、映像には作品は映っていない。作品という主人公が不在のまま進む演劇のような映像は、展覧会という形式に対する疑問を表明しているのか、それともサラ・ジーにガンダーが捧げるオマージュなのか、よくわからないまま観客はモニターを見つめることになる。

ギャラリー内に転がっている深緑の箱「暗闇の匂いがするーー(錬金術の箱#26)」はパリのセーヌ川湖畔で昼間営業し、夜はこの箱のように鍵をかけて店じまいする古本屋のスタンドの形をしている。傍らの壁にはメゾンエルメスで過去に展覧会を行ったアーティストが選んだ本のリストがある。箱の中にはその本が入っているという。でも箱には鍵がかけられていて、観客は本を見ることはできない。鍵はすでに失われているし、そもそも本当に本が入っているのかも疑わしい。観客にできることは頭の中で箱の中身をイメージすることだけだ。

2台のテレビモニタが並ぶ「展覧会のための別の時間枠」という作品では、テレビ業界で用いられる1分を刻む時計が映し出される。が、一方の画面の時計は60秒だけれど、もう一方の画面の時計は51秒しかカウントしていない。残りの9秒は1分あたりのCMの平均時間だ。番組を見ているようだけれど、営利のために無意識に投下されている時間。何かだまされたような気分になる。

その他ドガ、ドナルド・ジャッド、イギリスのアーティスト、リアム・ギリックらを引用した作品が並ぶ。どれもガンダー流のひとひねりが加えられた作品だ。さらにはガンダーが作り出した、架空のアーティストたちの作品も。架空のアーティストという存在自体が作品だとも解釈できるし、彼らの"作品"とされるものももちろん作品だ。極め付けは「場所可変」とキャプションのある「ことのなりゆき」という"作品"。本来なら制服を着ているはずの監視員が、血痕の着いた白いジャージで会場内を歩き回っている、その人自体が作品だ。現代美術の展示空間で、このジャージ姿は完全に浮いている。その違和感こそが、この作品のコンセプトなのだという。

わざと欠落を作っておいて、観客にその欠落を埋めさせること、新たな物語を作らせることは現代美術の役割の一つだが、この個展ではそのためのトリガーとトラップが大量に仕込まれている。五感、意識と無意識、想像力を全力で稼働させて、この戦場を走り抜けてみよう。

text:Naoko Aono

『墜ちるイカロス - 失われた展覧会 | ライアン・ガンダー展』
開催中〜2012年1月29日

メゾンエルメス8階フォーラム
東京都中央区銀座5-4-1
tel. 03-3569-3300
11時〜20時(日曜〜19時)最終入場は閉館30分前
11月28日、1月1日、2日休
入場無料


1「暗闇の匂いがする--錬金術の箱 #26)」2011年
パリの古本屋のスタンドの形をしたボックス。中には本が入っているという。奥に見えるのは「マシュー・ヤングが1985年から白い部屋に落下する(たぶんなるべくしてなったのだろう)」(2009年)という作品。

2「『先天的な人間の装置としての抽象をあざ笑う』ラモ・ナッシュ」(2011年・右)と「観測所、あるいは悪いのはそれではなく、あなたが混乱しているだけ」(2011年・左)。
後者はドガの踊り子を思わせる作品。ラモ・ナッシュはタンタンの話に登場する架空のアーティストだ。

3「バン!」(2011年)
メゾンエルメスで行われたと書かれている、架空の展覧会のポスター。

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